撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

笑い声の余韻(さくら)

 さくらが日本にいた一年、ドラマにして4月からの半年。色々
あったなあ・・というさくらを取り巻くひとたちと同じように
ほんとに・・と頷いている自分に気づく。


 4月にエリザベス・・と聞いた時には一緒に笑ってしまいました。
エリザベス・テーラー・・とか思い出しちゃう名前ですよね、
確かに・・。百歩ゆずって可愛めにベス・・なんていったら今度は
若草物語」のピアノを弾く儚げで可愛らしい少女を思いだして
しまうし・・。エリザベス・さくら・松下・・というフルネームは
前回の放映から今回の放映までに忘れていたことのナンバーワンの
事柄だったなあ・・(笑)。


 書道の先生が「和」について語る。日本では右にならえで同じ
ことをしないとこれが保てないと誤解している人が多いが、本当は
そんなものではない。きちんと自分をしっかり持っているひとが
お互いを認め合うことで生まれるものだ・・と。


 自分を持ち、その上で、それにこだわらずに考えること・・それは
とても大切でしかも難しいこと・・。


 どんなドラマも人間の物語ではあるけれど、このさくらではその
さまさまなぶつかり合いがたくさん描かれていたと思う。
 沢田とさくら。沢田と奥さん。教頭と教え子。桂木とまきこさん。
ロビーとさくら。さくらの母とおじいちゃん。さくらの父とグランマ。
みどりさんと元だんな。みどりさんとよしひこさん。理事長とグランマ
理事長とさくらの父。子供達。こどもたちの父・母。


 なかなか言えないことを言うこと。けんかするためではなく、お互い
をもっと知るためにぶつかり合う。あじけない本音だけでなく、よそ
よそしいたてまえだけでなく、そのどちらも言わずにはいられないことを
伝えるためのまるごとの本当の気持ちを言う。我慢をすることと、
気持ちに蓋をして隠すこととは違うことを知る。違うから理解できない
とあきらめるのではなく、違いを知った上でどうすれば分かり合えるか
どの部分は理解しあえるのかを共に考えることだけは諦めずに続けること。


 そしてなにより・・自分が本当に大切にしたいものは何なのか
深く考えること。何かが手に入らないからといって、すべてををあきら
めるのではなく、どうすれば、いちばん自分が大切にしたいものに
近いのか、近づけるのか、考え続けること。


 さくらを取り巻くこどもたちとの教室での楽しいひととき。別れの
前の笑顔、笑い声・・。一瞬、その余韻が響き渡り、校舎の風景が
階段のあたりが映し出された。ああ・・もうこの時は二度と取り返せない
のだ・・と続く空白を思うと涙が出てきた。
 さくらがみんなに贈るという「仰げば尊し」。静かに聴くぞ・・という
桂木先生の胸の内も・・また、この取り返せない一瞬を愛おしんで、記憶
を刻み込もうとしているようで、何とも切なかった。
 ・・それとも・・彼は何かをまだ考えているのだろうか・・・?