撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

いいわけ(純情きらり)

 冬吾の言葉で思うことがあった。達彦の言葉に、それはいいわけ
じゃないのか?ときっぱりという。


 生きることに精一杯のときはそれだけで生きていけるが、なにも
なくなったとき、どうやって生きていっていいか分からなくなる、と。


 渦中では、何をしているか分からなくなることがある。大きなうねりの
なかで、争わなくてもいいひとが争ってしまったりすることもある。
 では、落ち着いたときにどう対処すればいいのか?達彦のように、自分
だけ幸せになるわけにはいかない・・と口を閉ざす人がいる。自分の
受けた痛みが大きすぎて、もとに戻れない人がいる。新しいことに没頭
することで、その痛みを忘れようとするひともいるだろう。新しいことに
進めずに、その傷跡の痛みを感じることを生きていく支えにしている人も
いるのではないのか?見つめたくないことを見つめるというきつい想い
をしているのは確かだが、それは、なんのためなのか?痛みと怒りだけを
いつまでも自分の支えにしてはいないか?


 どうか、もう一歩進んでほしい。痛みや怒りが、生きていくだけでなく、
幸せに生きていく力となることを祈る。そのためには、周りにいる人たちが
争いを知らないひとたちがその痛みを自分のものとして感じることによって
寄り添う必要があるのか・・。そして、同じ経験はできなくても、寄り添う
ことで、胸を痛めているひとが周りにいることに気づいてほしい。争いを
どうこう言うことは出来ないけれど、これから先、どうか、しあわせで
いられるように、平和が続くように、過ちが繰り返されぬように、つよく
つよく願っていることを伝えたい。