撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

眠りとない!(芋たこなんきん)

 きよしくんが夜中に音楽を聴きながら泣きそうな顔をして
起きている。眠りとない、眠ったらそのまま死んでしまうような
気がする・・と。「ぽっかぽか」でも、あすかちゃんが死んだら
どうなるの!って恐くて恐くてたまらなくなる場面があったなあ
と思いだした。小さい頃にそんな風に気づく頃があるんだよなあ
と思い出す。


 眠りにつき、そして目覚める。そんな当たり前のことと思って
いたことが、当たり前でなかったことに気づく。もしかしたら
死んでしまって、そのままになるかもしれないと・・。大人は
そんなバカなことがあるわけないじゃない、と思うかも知れないが
それもまた、あたりまえだと思っていることがそのままに保たれて
いるから・・という話。


 「純情きらり」で、病気の桜子の隣りに寄り添うようにして
達彦が寝起きを共にしていた頃を思い出す。達彦がそばで眠って
いるのを、目覚めた桜子が微笑んで見つめている。そして目覚める
達彦と視線を交わし、微笑み合う・・。愛しい人のそばで目覚める
ことができるのは、なんて幸せなことなんだろう、目覚めたときに
見守っていてくれるひとのいることはなんて幸せなことなんだろう
と思った。この幸せが、どうぞ一日でも長く続きますように・・と。


 生まれたばかりの小さい子を育てているとき、なかなか眠って
くれないと悩みながらも、あまりにぐっすり眠っていて静かだと
大丈夫かと心配になって寝息を確かめてみたりした。子供が病気に
なると、いつ何が起こるかその怖ろしさに眠れないまま隣で
うつらうつらと夜を過ごした。


 生きていくことを考えるためには死んでいくことを考えることを
はずすことはできないのだと思う。時折それを思い出させてくれる
のは、子供と年寄りなのではないかと考える。


 あきちゃんと、アイロンで電話ごっこをする町子さんがよかった
なあ・・。これって、「見立て」の遊びですよね。これが出来るか
どうかで、遊びの幅はぐんとひろがるし、大人になっても、演劇
などを観るときに楽しめるかどうかが違ってくると思う。そして
ひととその感覚を共有できるかどいうか・・というのは、人生を
楽しめるかどうかに大きな影響を与えるような気がします。このごろ
なんでもかんでもリアルな○○セット・・みたいなものがあるから
ちょっと、想像力とか応用力とか遊びの上でも減ってるよな・・。
お金があれば何でも手に入る・・というのが、お金がないと遊べない
楽しめない、ということに繋がったらさみしいですよね・・。