撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

しあわせになる資格(純情きらり)

 「半年前まであった地獄」
 達彦がそう言った。自分の感情をあらわにしない達彦が桜子に
感情をぶちまけた。しかし、その感情も、何度も何度も達彦が心の
中で繰り返し、問いつめて、自らの心に消えない傷を彫り込んで
いるような、悲痛なものだった。自分は死ぬべきだったんだと。
しあわせになる資格などないのだと・・・。


 ひとりひとりの感覚が違うように、流れていく時間もひとりひとり
違う。桜子が山長を出て、一番苦しんでいたときに、笛子は前を
向いて新しい幸せを掴めと桜子を促した。かねと支えてきた達彦まで
かねを失うことでなくしたばかりの桜子にとっては、笛子の善意も
残酷に聞こえた。今の達彦もまたそうだ。戦争から、必死の想いで
立ち直り、ようやく笑顔を取り戻した桜子も、突然帰ってきて、まだ
心の整理もついてない達彦からみれば、どうしてそんなに笑って
いられるのか?としか映らない。達彦の中ではまだ戦争は終わって
ないのだ。おまけに、それは、地獄にも等しい記憶なのだ。


 きのう、かねの死に対する桜子の違和感を客観的に考えたときに
辿り着いたものも、その時差だった。達彦は今、母の死を知ったのだ。
かけがえのない肉親の死を手順なしに、いきなり認めさせようとする
まわりとの時差に違和感を感じたのだ。
 病気を知って、看病して、死を覚悟して、看取って、それからも
喪失感を味わい、何か出来なかったかと後悔しながら、それでも、
亡くなった人の想いでと遺志を継ぐことで、なんとか心の中に住処を
つくって気持ちを納めることができる。それだけの手順をほんの
二言、三言ばかりでたどることなどできやしない。いや、まずその前に
母の死を嘆き悲しむ時間を与えて欲しい。それが、親の死を自分の
ものにするということだ。


 桜子と笛子の関係ではもやもやとしたままだったものが、桜子と
達彦の間では、はっきりと言葉にあらわれた。みんな望んでいることは
同じだ。だれもが、幸せを思いやっている。だれも、ひとを
傷つけようなどと思っているわけではないのに、少しの違いで伝わらず
かえってもやもやを残すことがある。もやもやを抱えたままでいると、
解決するときもあれば、取り返しのつかないときもある。桜子が、達彦の
喪失を受けとめ、冬吾とのやりとりを経験し乗り越える必要があったのは
この達彦を地獄から救い出すためだったのではないか。


 生きてる人間は絶望なんかしてられん
 前を向いてあるいていかんといかん
「達彦さんと一緒にもう一度しあわせになりたい」と。


 桜子がまっすぐに達彦と向き合ったからこそ、達彦はもう一段階深い
苦悩まで、晒すことができた。達彦の言葉を聞きショックを受けている
桜子。しかし、もともとの桜子の資質に加えて、絶望の淵をさまよった
といえる思いを経験した桜子だからこそ、達彦に寄り添うことができる
だろう。桜子は一段と、強く、やさしくなった。そう思う。


 ・・桜子が達彦に聴かせたいピアノって、いきなりあれなのね。
 桜子って、つくづくストレートな性格な娘だなあ・・と思いました。
ま、達彦が拒否するのには一番効果的かな。ドラマですからね。


追記:桜子だから、達彦は自分の感情をぶちまけられたんだ
   これが、変に気を使って腫れ物あつかいされたりしたら
   回復はいつのことになるやら・・。達彦が生き返るためには
   この桜子のストレートさが必要なんだ。
 つくづく、自分だけではダメだと思った。世の中に様々な考え方の
いる人の意味は大きい。自分と違う人にこそ、自分の解決の方法が
隠れているかも知れない。


 桜子頑張れ!って今日は叫びたい気分です。