撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

思い出が溢れ出す(純情きらり)

 冬吾、やっぱり山長にあらわれたね。神社の祠の前で、達彦と
話をしたのを思い出す。キューピッドは冬吾だ!と思った覚えが
ある。


 仙吉さんが達彦に話す。桜子の山長での日々を。仙吉は、達彦を
さいころから見守ってきたのだろう。そのまなざしで、桜子をも
見守ってきたのだろう。桜子は、かねのために、達彦の生きている
ことを信じるために、ピアノにすがって弾いていた。祈りを込めて
弾いていた。自分が好きなだけで弾いていたわけじゃない、と。


 誰の邪魔にもならないように、ひっそりと生きていこうと思っても
そんなことはできない。だれかの邪魔をしたり、迷惑をかけたり
しながらしか生きていけない。ずっとひとりぼっちだったと思って
いた、その間にも、どこかで自分のために生きていてくれたひとが
いるんだ。今度は、自分がなにを出来るか、なにを返せるか・・。


 達彦は、いままで桜子の音楽への気持ちを支えていこうとずっと
思ってた。今の自分では、彼女になにをしてやれるか分からない、と
自信をなくして距離を置いていた。プラスがゼロになったと思って
いた。でも、自分が桜子に何かをさせてたなんて思ってもなかった
だろう。じぶんの知らないうちにゼロじゃなくマイナスになっていた
なんて。


 ひととの関わりは、プラスマイナスではかれるものじゃない。でも
達彦は初めて気づいたかもしれない。生きている限り、自分の周りの
人とは、支えながらもまた支えられていたことを。責任感が強く、
思いやりがあって恵まれた家にも生まれ、自分のやるべきことをきちんと
考えて生きてきた達彦。傲慢などという言葉とはほど遠いけれど、
「自分が」やらなくてはという意識は強く持っていたことだろう。


 生きていること、それは、自分だけのものではなく、生かされていると
いうこと。何でも出来るということも、何もしなくてもそこに生きていて
くれるだけでいい、というのも本当だが、何をやってもいい、どうなっても
かまわないというのとは少し違うと思う。


 人は一人で生まれて一人で死んでいく。それでも、そのなにひとつ
ひとりぼっちでは出来ないことばかりだ。人がいなければ、この世界の
様々なものがいなければひとは生まれてくることも生きていくことも
できやしない。生きていくということはそういうものなんだろう。
 ひとりで生きていくなどと思うことは傲慢なのかも知れない。


 達彦のなかに音楽が流れ込んで来た。桜子との思い出が溢れ出す。
どんなときもひとりぼっちではなかったと。どんなときもあたしは
達彦さんの味方だからね、といった桜子のまぶしい笑顔がきらめいていた。