撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

書物と苦悩(吾輩は主婦である)

 書きたいものがあって書くのではない、書かなければならない衝動に
とらわれて書くのだ、と漱石先生はおっしゃる。苦悩があるからこそ、
文章を書く必要に迫られる、と。もし書いていなければ、自殺はともかく、
気が狂っていたかも知れないと。


 最近思う。行き詰まったときに、手当たり次第に本を手に取っていた
ことを。手帳になんやかやと書き込んでいたことを・・。当時買った本の
中に、島田雅彦さんの「快楽急行」があった。なかに、「詩を書くこと・
苦悩に効く言葉は難解である」という章がある。「誰しも持つ、心の
わだかまりを放っておくと大変なことになる。わだかまりを取り除こう
とするなら、まずそれを言葉に置き換えなければならない」と。
 物語は、傷ついた自我を立ち直らせるきっかけにもなる、他人が書いた
ものでも、自分のわだかまりを言い当てた言葉があれば特効薬となる、と。
 求めれば、探し当てることが出来るのだ!と思った。(加えて、この方
知的な部分と、色っぽい部分が、面白く混ざってるから好き!)


 これを書いてるのはどうして?う〜ん、そんなに深刻ではないけれど、
それでも、書いているうちに落ち着いたり、本当に言いたかったことが
わかってきたり、それはあるなあ!身体のために走ってたひとが、そのうち
走ることそのものを楽しむようになっていくような・・その気持ちが
少しだけ分かるような気がします。どこまでいっても、私は、体育会系
になれない、文化系だとは思うけどね!