撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

宝(カーネーション)

朝から2回観てしまったのだけれど
2回ともお母ちゃんの出てくる場面スルメで笑ってしまった


印象的なのは貞子おばあちゃん
軍服なんか作るのは嫌
あんな不細工なもの・・


ああ・・そうだよね
昨日の言葉を塗りつぶした墨もまたそう
自然のことわりに逆らったもの
だれかが無理やりことを捻じ曲げようとしているものは美しくない
時局と言われれば仕方のないことのようでもあるけれど
子どもじみていたとしても
軟弱ものだといわれたとしても
自分の心や大切なものを捻じ曲げられ汚される様なものに対しては
「嫌や!」ということが大切なのではなかろうか
昨日は墨で塗りつぶされた堪助の手紙が
今日は墨はなくなり「気色悪いほど当たり障りのないもの」になっている
それはもう墨の入ることすら許されない状況になっているということ・・
そしてそのままにしているとそれが普通だと思ってしまうことになるのだろう
黙っていると気づかないでいるとどこかでくるりとこんな怖い転換期がきてしまうのだろう
だからこそ、日常にいられる間に思う
平和とか反戦などと大きく振りかぶらなくても
日々の中で美しいもの、気持ちよいもの、当たり前の幸せを感じること
その何気ないささやかな幸せに気づくこと、大切にすること
それがなにかおかしいという異常に気付くなによりの感覚になるのではないか?


宝は愛するひと、もの、愛するこころ
手柄は・・何よりの大手柄は幸せを運ぶこと
他人から略奪した幸せではなく
自分が紡ぎ出す幸せを・・・
おじいちゃんが言った言葉・・会社をどうすることに決めたのかな?
って、ちょっと気になった
でもきっと大切なことが分かっている人は
どんなことになってもまた新しい芽を芽生えさせる日がくることを信じてる



それにしてもお父ちゃんと勝さん
そのこころがけはいいよ、産まれてくる子と母親が無事なら・・って
でも犬の子、猿の子、はないだろう
しかも産まれた子を横にしてそれで笑ってるとこが・・次女はだれだっけ
糸子の「失礼やな」ってのが効いてましたね(笑)