撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

達彦の判断・桜子の決断(純情きらり)

 達彦が「選ぶとしたらおまえだ」と言ったこと。それは
大切な判断だと思う。子供をあきらめることではない。自分の
中で、桜子がいて、そして子供がいるということだ。
 もちろん、順番なんてつけられない。二つを切り離して
考えたりできない。それでも、愛する相手がいて、そして
愛する人との子供だ。残酷なことを言うと思われたひとも
いるかもしれない。それは、達彦の判断が残酷なのではなく
それを選ぶことそれ自体が不可能で残酷なのだ。


 桜子が、医者に訊く。「子供をあきらめれば私の病気は
治るのですか?」と。それはどちらともいえないという答え。
それでは、産みますという桜子に、死を覚悟するということか?
と医者。そうではなく、生きるために・・という桜子。


 はじめから、選べるものではなかったのだ。どちらかを
捨てればどちらかが手に入るという種類の選択ではなかったの
だから。生きていくこと、最後まで命をつないで精一杯生きて
いくことしかできない。「明日死ぬとわかっていてもわたしは
研究を続けていきたい」といったのは、キュリー夫人だっただ
ろうか?信じるもの、愛しいものをもって命を輝かせるという
ことはそういうことだろうか・・・。桜子は、自分でそう決断
して、命を輝かせている。


 ・・・子供を産みたいということ・・・
 女だから・・ではまだ足りない。愛しい人の子供だから、だ。
そして、愛しい人に、愛されているからこそ、迷うことなく
すべてを受け入れることができるのだ。桜子のなかでは、もう
心ははじめから決まっていたのだろう。達彦を愛するが故に
ひとりで言い張ることが出来なかっただけではないかと思う。
桜子の命と、子供の命は繋がっている。子供は、桜子のなかで
確かに命を育まれている。
 しかし、桜子に育まれているものは、子供だけではない。
家族や人との繋がりも、そして何より音楽も、彼女の情熱と
愛情を注がれて、彼女のまわりで、確実に芽吹いている。
 子供を産み育てることだけが、命を繋ぐことではないと思う。
何かに、愛情を注ぎ、確かなものを伝えることも、日々を大切に
生きていくことも、何より、自分の人生を輝かせることそれ自体が
同じくらい命を繋いでいる・・そう思う。
 


 冬吾が、桜子に甘える息子のように見えてしまった・・。
 桜子が子供を持ち、遠くなっていくのを引き留めようと
 する、子供のように見えてしまったのは何故?側にいてくれ
 といったときの、弱い冬吾だったよな。じゃないと、病人に
 いきなりあんな話しないよな・・・。