撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

歌会始 「月]

洗濯物を干しながらテレビを見ていたら始まった「歌会始」。
時々見るともなしに見たことはあるけれど、今年は何故か集中
してしまった。お題は「月」。


 短歌も詳しくないので、あまり言えたものでもないのだけれど、
歌ってどれも自分の生きていることを歌うんだな・・って思った。
今は、いろんな歌があるから、音もリズムも様々、自分の気持ちに
あったものを選ぶのだけれど、かえってその楽器の演奏や、ジャンル
の特性で、自分を縛ったり、グループを分けたりしてないだろうか?
 始めは違和感があった、昔ながら(?)の詠み方と、淡々とした
調子になれてしまうと、ただその歌の内容だけが際だつような気が
した。だれもが自分の人生を生き、自分のうたをうたっている・・。


 保育園の三日月を詠んだ詩が印象に残った。安心して昼寝する
園児、園児のために黒板に架けられた三日月の絵・・。大人は
子供を守らなければならない。ただ、事実をならべるのではなく
こどものために整えなければならないものがある。


 雅子さまのお歌・・。日常の何気ない幸せ・・ではあるけれど
その幸せがどんなに尊いことか!愛する人がいること。愛する人
必要とされること。愛する人と手を繋ぐこと、ともに月を愛でること。
そして子供にとっても・・振り向いて欲しいときに振り向いてくれる
親というものはどんなに幸せなことだろう・・そして自分と同じ
気持ちで寄り添ってくれること・・。


 皇后陛下のお歌は、御自分の誇りと天皇陛下への愛情が溢れて
いるように感じられた。そして美智子さまの生き方・・どんなこと
にも楽しみ、幸せを見つけるような気分が素敵だと思った。そのあとの
天皇陛下のお歌・・・まるで、お二人が愛情を交わしているようで
涙が出てきた。大変な仕事を終え、安堵した時、月をみて誰かを優しく
思い浮かべる・・、愛する人、大事な人のもとへ思わず足を早めて
帰っていく・・。微笑ましくも、愛しい、ひとりの人間の感情に違い
ない。


 それにしても、「月」というものは、なんて人の心を映してくれる
のだろう・・。いつもそこにあるにも関わらず、いつも形を変え、時
には姿さえ見えなくなる。自分の心を映すように、相手・・例えば
愛する人・・の心のように・・・。ただひとつ確かなことは、どんな
時でも月を見上げる自分がいる・・ということ。生きている自分がいると
いうこと。生きていること、人と関わりを持てるということ、それは
始まりであるにすぎないけれど、そのことは何よりの幸せなことで
あること・・。それだけは忘れずに今年も過ごしていきたい。