撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

ふたりを知っているひと

ほどなくして、あの人から連絡があった
しばらくゆっくりできるから好きなところへ行けるよと
前回の旅の幕切れが理想通りでなかった私としては素直になれない気分で
携帯を頬にあててうつむいたままだった
いままでのあのひとだとそんなときにはちょっと困ったまま無口になり
私のほうが悪いことをしているのだと思い知らされる気がしたものだった
しかしながら、電話の向こうには明るい空気を感じる
それではまずはいつものフレンチで・・いい?
文句のつけようのない提案だった


あのレストランに行くのなら何もなくてもお洒落をしなくては!
だってあの場所に行くだけでもうそれは心弾みすることなのだもの
なんて現金なわたし!
それでも、そんな場所などほかにない
この数カ月なじみのお店に飲みに行くことすら億劫になっていた私だった


待ち合わせの場所で私をピックアップすると
あのひとはいつものように私をひとめぐり見廻して満足そうな頬笑みを浮かべる
それはお気に入りのおもちゃを見つめる少年の眼と
大層可愛がっているであろう自分の娘を眺める父親の眼の両方を隠し持っている視線だ
恋人のそれほど近くはなく、崇拝者のそれほど遠くもない
その何とも言えない距離感がくすぐったくて私はそれだけで
何日も前から何を着ていこうかと悩んでいた自分を満足させてやれるのだ
女のお洒落は洋服を着たところで完結するのではない
誰かにそれを惚れ惚れと眺めてもらうことで初めて完璧な幸福をもたらしてくれるのだ


予約をいれてあったレストランに着くと
案内をしてくれる男性が2階から降りてきた
あくまでもスマートなそのマネージャーが
私たちを見つけた途端に年相応の可愛らしい笑顔を浮かべた
それは私たちの過去と今日を一気に繋ぎ合わせてくれた


ここに何度来たことだろう
ここで何度ふたり一緒に食事をしたことだろう
それも必ずふたりで!
そして料理をあいだにしていつもお互いを見つめるのだ
料理を口にしながらふたり溶け合っていくのだ
同じものを一緒に美味しいと言い合って食べることが
どれくらい幸せで、時にはどれほどエロティックなことか
何度も何度もふたり確認しあってきたこの場所なのだ


この世界の中で
あのひととわたしというふたりはなんの関係もなんの約束もないのだけれど
この空間では「ふたり」という関係になっている
ふたりはここで幸せを共有している
そんなふたりを知っているひとがいる・・・・
それは鈍い痛みがちいさな快感を掠るような
すこしだけ艶めかしくてほんのりと幸せな感触がする



あの無邪気な笑顔は影をひそめて
帰るときにはいつものクールな笑顔だった彼
それは、わたしたちふたりの幸福を演出する黒子に徹してくれる顔でもあり
もし秘密を知っていたとしても決して漏らさない共犯者の顔でもあり
とにかくふたりを知っているこの店のすべての人物を束ねる
頼もしいプロフェッショナルの顔だった


恋人とふたり過ごすことも
時にはそれだけでは完結せずに
誰かに見せびらかしたくなる
そしてそれもまただれでもよいわけではなく
一歩間違えると興ざめすることもある危険な欲求でもあるのだ
プロフェッショナル・・・
どんなときでも心弾みするほどここに来たくなるのは
ふたりを知っている人がここで待ってくれているからかもしれない