撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

2-4

 それでもやはりたまらなくなった。みんなはまだ笑いさざめいている。
2次会に移るにもまだ時間がある。こっそり店を出て街角で電話を
掛けた。明らかに驚いているあのひとの声にきづかないふりをして
いつも使わない声を出してわたしはしゃべっていた。
「どうしても逢いたいの。すぐ来てほしいの。駄目?」


 すこしばかりの沈黙があって、今いる場所を聞かれた。電話を切ると
大きなため息がでた。意外なことに後悔とともに・・・。


 今日は高校の同窓会があるから逢えない・・と言ったのは私の
ほうだった。なかなか休みの都合がつかなくて逢えないというのに
めったにないあの男からの申し出を断ったのは私のほうだったのだ。


 時々、大人になってからつきあうというのはこんなものかと思う
ことがある。お互いの仕事・・それもそこそこ責任のある・・が
ある。時間をとるにも思うに任せない。あの男はいつも淡々と
やりとりをする。誘いがとおれば逢い、誘いを断ったからといって
何をいうわけでもない。わたしは・・・断られるのが怖くて誘う
ことができない。誰にそうしろと言われたわけでもないのにいつも
待っているような気がする。


 そんな男のさりげなさにいくらかの物足りなさと歯がゆさを感じ
ながら、(まったく身勝手な話だが)それでも、自分のなかで
男からの連絡を楽しみにしていることは確かなのだ。
 だからこそ・・仕事以外であの男からの誘いを断るのはどこか
ひそかな喜びすら感じていたのかもしれない。しかしながら、いつも
の、仕事での断りよりも何故かどこか暖かいものを男の言葉に感じて
いくらかの戸惑いと、少しばかりの罪悪感を感じていたのだった。


 30分ほどで携帯が鳴る。少しだけ親しかった女の子に先に帰るから・・
と告げて店をあとにした。それでもこの心弾みは恋だ・・複雑な心を
抱えたまま、夜の街からバス通りへと向かう。街を歩く人がみなとまって
いるように見える。早くあのひとの車を見つけたくて小さく走っていた。


 「ごめんなさい・・」そういってあの男の車に乗り込んだ。あの男は
何も聞かずに車を出した。何をしゃべっていいか分からない。それでも
この場所を私のためにくれたこと・・それだけにすがって、いつも通りの
顔をしてとなりに座っている。あの男の横顔は、そんなわたしの心など
はじめからお見通し・・というように穏やかで、それでもいつもより
少し無表情に見えて怖かった。


 海の見える道だ・・と思っていたら、遠くに観覧車の灯りがみえた。


「観覧車に乗りたい!」
「もう動いてないよ・・」
「でも・・あかりがついてるよ!」
「・・まあいいよ・・・」


 丸くぼんやりと浮かぶ灯りをたどって車を走らせた。駐車場にはもう幾台
かの車しか停まってない。ほら・・というあの男のいうことも聞かず、
車を降り、観覧車への階段をのぼるわたし。そのときに、まるでろうそくの
灯が吹き消されるように観覧車のライトが落とされた。


 呆然と立ちつくす私。あの男に肩を抱かれて車に乗り込んだ。家まで
送って行くよと言ってあの男は車の向きをゆっくりと変え、そしてすべる
ように発進させた。街の灯りがだんだん滲んでいく。


 あの男の隣でいつの間にか泣き出していた。こらえてもこらえても
涙があふれてきて、隠すことができなくなって、どうしようもない・・と
あきらめたら泣き声まででてきて、最後は泣きじゃくっていた。あの男は
なにもいわずに車を走らせる。家の近くまできてもまだおさまらなくて
少しだけ車を停めてもらうように頼んだ。しばらくして落ち着いたら
初めてのドライブの時のように、あの男は缶コーヒーを買って渡して
くれた。甘くて熱いコーヒーが喉にしみた。


 今日はありがとう・・・そう言った私を見るあの男の顔はいつも通りだ
けれど、その顔からは何も読みとれなかった。車に乗ってからは、わたしの
髪にも、耳たぶにも、指先にも、全く指一本触れなかった。仕方がない・・・
と思う。わたしは今日は違う男のための涙を流してしまったのだから・・。
なんて残酷で身勝手な女!そう言われても仕方がない。それでもひとりでは
耐えられなかったの・・あなたにそばにいて欲しかったの・・などといえば
どんな顔をされるのだろう・・!
 何も言わずにつきあってくれただけで充分だ・・そう自分に言い聞かせて
もう一度泣いた。今度はあの男を思って泣いた・・。