撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

3月20日

 今日はお彼岸中日。午前中はお寺まで行ってきました。去年と
同じく2時間ばかりそこで過ごし、しばし日常を離れる・・と。


 お話は今日の日について、3年前には福岡は地震が起こったの
でした。そのときには私は息子たちのラグビーのクラブチームに
ついていっていた・・。卒業記念試合の真っ最中。卒業する中3と
送る中2が試合中で、子供やら父兄やらコーチやらみんなでグラウンド
に集中してたとき。目の前に広がる芝生のグラウンド。これ以上
揺れたらこの真ん中に走り出るだけだな・・それでも駄目だったら
もうどこにいたって仕方ないだろう・・ここにいる人と運命を共に
するっていうのなら、それはそれで深いつながりのあるクラブって
いうしかないなあ・・って考えたのを覚えています。


 私と長男と次男が一緒にいたから・・子供と一緒にいられたから
割と落ち着いていられたのかも・・。そのころダンナは何をしていた
かといえば、おうちでお留守番(?)・・のんびり遅い朝御飯を食べ
ようと思ったら凄いことになって、一番恐怖を味わったようでした。
私の実家に当たる家なのですが、その家と運命を共にしていたのが
私ではなくダンナっていうのが笑えるよね。家も大したことなく、
無事にいられてほんとに良かったです、今にして思えば・・。


 13年前には地下鉄サリン事件新興宗教について少しばかり
お話・・。流行るもの廃れるもの・・変わらないもの・・・。幸せに
なれるものはどんなものなのか・・幸せは明るく穏やかな光を感じ
させるものではないか・・。


 去年は中庸・中道についてのお話だったけれど、今年もやっぱり
ほどほどというものは大切だと・・。自分はものごとにこだわらない
性質だけれど、こだわるひとがいることを思えば、あまりこだわらない
わけにもいかないから、そこそこ気をつかうことにしている・・とか、
そういう、やわらかさがいいなあ・・と思いながらお話をきいて
いました。


 地震の話の中で「揺れたからよかったんでしょう」というひとことが
出てきて、それは被害が少なかったことに関してのなにかの言葉だった
と思うのですが、なぜかその言葉だけ浮き上がるように印象に残り
ました。


 「揺れるからいい」
 頑なにならずに、揺れること・・。迷うことも、悩むことも、心が
定まらないこともいっぱいあるけれど、日々世界は変わっていくの
だから・・。ぽっきりと折れることなく、竹のように、柳のように
風に吹かれて揺れていよう。風の心地よさを感じながら揺られる幸せを
感じていようと・・そんなことを考えていました。



 南無阿弥陀仏を唱えながら、頭に浮かんできたのは、春のお彼岸に
家族揃って父をお寺に迎えに行っては帰りに近くの公園で子供たちを
遊ばせていたこと・・。優しい思い出はそこかしこに散らばり、花の
香りのように、時に寄り添ってくれる・・・。


 午後は前からやりたかった部屋の模様替え。必然的に一部大掃除。
昔にくらべれば片付けに時間はかからない。無理ができなくなったので
線引きしながら片付けるから。それともうひとつは、捨てるもの、残す
ものの判断が早くなったから。物は多くは持てない。思い出は胸の中
に・・・。忘れられないものはいつまでも忘れられない。忘れてしま
えるものは、優しく消えていってくれる・・・。