撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

ただ嬉しぃて(ちりとてちん)

 清美に正典がどうして全部自分でやるのか・・それは、塗り重ねた
ものにしか塗り重ねたものはわからないから・・と話す。


 ああ・・まるで生きることのようだ・・と思う。共感することも
同情することもあるけれど、本当に本当にそのことそのものは、その
ことを生きてきた自分自身にしかわからない。まどみちおさんの詩に
あるように、そのことによってまたひとりひとりが大切に守られて
もいるのだ。だれもが自分を自分として生きる。かけがえのない存在
として・・・。


 和田家の食卓で、みんなのこぼれる笑顔を見て、おかあちゃん
泣き出す。ただうれしぃて・・と。自分のことなど何もないのに、
みんなの幸せを自分のことのように喜び、涙を流す。


 その昔、喜代美がおかあちゃんのようにはなりたくないと言った
ことがあった。おかあちゃんの人生にいったい何があるのかわから
なくて・・・。


 愛だよ・・愛。


 愛する人の幸せを自分のものにできるのは、自分がないからじゃ
ない。そこに愛があるからだ。愛している自分がしっかりとそこに
いるからだ。


 「ぎょうさん笑え・・」
 人のためにつくすことはそのままひとのためであるだろうけれど
自分がいっぱい笑うこと、幸せでいること・・それもまた、自分の
ためだけでなく、ひとの幸せになるのだということ・・。


 生きているうちにできることは、ただ、懸命に生きて、いっぱい
味わいつくして、思いっきり楽しんで笑うことなんだろう。