撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

人生が分厚くなる(芋たこなんきん)

 ひとつひとつの出来事で、いったいどうしたいんだろう・・と迷う
時、自分のこころにきいてみる。「そんなことして恥ずかしくない?」


 誰かに対して恥ずかしい・・というわけではない。長いこと、もし
亡くなった母だったらどう言っただろう?と考えてみることがあった。
このごろようやく、「あとで恥ずかしくならないかい?自分自身に・・」
と、問いかけることができるようになった。時にはやっぱり独りよがり
な考え方をしていてあとでまずかったなあ・・ということもあるのですが
それは、自分が受けとめるしかないものね。謝るなり、耐えるなり・・。


 病院に行こうかどうか迷っている晴子に健次郎が言う。「何を迷てんねん」
「出来るて分かってるのに、何もせえへんつもりか」。病院を辞めるはめに
なるかも・・という晴子に「そんときはそんときや」。
 病院はまたチャンスがあればどこでもある。しかし、医者として、自分を
許せなくなるようなことをしたら、望んだ道を歩けなくなってしまう。
運転手付きで車をよこす先生、おしゃれだね。頑張って、と送り出す町子
さんもね。


 みんな人生が分厚くなってくる・・という町子とそれをきく健次郎。
「わざわざ、人の分の分厚くなった人生の面倒までみんといかんしなあ
あんたは・・」という健次郎に、「小説のこと?」という町子だが、それは
自分の家族に飛び込んで来てくれた町子への健次郎の感謝の言葉だろう。


 もし、そうはっきり言ったとしても、町子は笑うだけだろうな。「だって
おもしろいんやもん!」とでも言って・・。ただでさえめんどくさい人生と
いうものを、人の分まで抱え込もうとは思わない。でも、小説を書く人は
と、いうか、物語の好きな人は、ひとの人生にも興味津々ではある。
週刊誌のゴシップのような噂話ではなく、丸ごとの人間を感じることのできる
向かい合ってきく本人からの話が好きである。


 それでも、そのひとの家族を含めたすべてを受け容れるのは愛情あって
のことに他ならない。彼女が小さい頃に包まれていた愛情の大きさ、
深さが彼女のその愛情をかたちづくったのか・・などとも考えてしまう。
そしてまた、彼女が家族と過ごしてきた人生が彼女の小説を広く、深く
していったのかも・・とも。愛情は、使って減るようなものではないのだろう。
河合隼雄さんがいっていたように、「新しい鉱脈を掘り当てる」ように
愛情の対象が増えるたびに豊かになっていくのかもしれない。もちろん、
それは並大抵のことではない。掘り当てただけでは何にもならないのだから。
楽しいから・・といいつつ、どれだけの自分の愛情と人生を、大事な人たち
のために注いできたことか・・・考えると、胸が熱くなるほどです。