撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

笛子、最後の授業(純情きらり)

 泣けて泣けてたまらない。笛子先生の最後の授業。
「どんな世の中になっても、自分の心だけは裏切らないで・・・」と。


 冬吾さんの瞳が少し明るくなっていたように思えた。こんなおれにも
すこしはプライドがあったんだな、といいいつつ、杏子を救うために、
兄に頭を下げてくれた冬吾さん。卑怯な人間だ、と自分のことを言った
のは、それを決心するのに、時間がかかったから・・杏子を守る気持ち
に、自分の小さなプライドが一度はブレーキをかけてしまったから。
 それでも、出ていくと言ったときに、笛子の方を見たその冬吾の目が
いままでと違ってまっすぐに笛子を見ていたように見えた。


 家のことを考えたうえで、音楽学校の入学を辞退することを、西園寺
先生に告げに来た桜子。彼女の表情もまた、今までの自分を可哀想がる
くしゃくしゃの困り顔とは、少し違って見えた。彼女なりに、家族の一員
として新しい一歩を踏み出そうとしている誇りで輝いていた。
・・・それでも・・・西園寺先生に、「そうですか、わかりました」と
入学辞退を受け入れられた時には、軽いショックを受けたに違いない。
心のどこかで、「君の音楽の才能の芽が惜しい。どうにもならないのか」
と、言われたら・・それでも決心はしてるんだけど・・引き止められな
かった事実を受け止めて、自分は間違っていなかったともう一度自分の
決心を自分に刻み込んだことだろう。東京までわざわざ出てきたのは、
きちんと御挨拶をする、という意味と「自分の夢の行方を最後まで見届ける」
という彼女の決意だったのだと思う。先生が、それ以上ひとことも桜子に
声をかけなかったのも、彼女の決心が固いことを感じ取ったのと、やめて
いく人間に何かいうことのほうがかえって残酷なことを知っていたからに
違いない。芸術というもの、才能があっても達彦や桜子のように最優先
できなくてやめていった人は大勢いただろうし、事情が許しても、自分で
じぶんの才能の限界を感じて、自分の一部を葬る程の想いで、学校を去って
いった人もいたことだろう。西園寺先生は、そんなひとたちを今までも
きっと見てきたことだろうから・・・。


 昨日気にかかってしょうがなかった冬吾さんが笛子に残した文章。
やっぱり、今日でてきました。方丈記の一文だそうですね。
 笛子の授業を「万葉集」の防人の歌に変更させる校長。お国のために
遠くへ行く防人の忠誠心を讃えよ・・ってとこでしょうか?出征する兄の
ことを思い浮かべて泣き出す女学生。学校は私情を吐露する場ではない、
泣きやめさせよという学校側。


 東京から戻った桜子も見守る中、笛子は背筋をのばし、冬吾さんが書いた
あの方丈記の一文を板書し、まっすぐな瞳で最後の授業です・・とこどもたち
に語りはじめる。校長たちに臆することなく。彼女が泣いたのは、ひとの
自然な心の動きです。それを認めることもできずに何ができるものか!どんな
世の中になろうとも、自分の心を偽らずに生きていって下さい・・と。


 笛子もまた、一番大切なものは何なのか、自分がこだわっているものは、
そんなに頑な形でなくても何とかできるのではないのか、・・それより
今、決して手放してはならないものはなんなのか、その澄んだ瞳で見据えて
大きな決心をしたのだと思う。


 いやいや、きょうの西島秀俊さんと、宮崎あおいさんには感心しました。
このドラマ、子供が大人になっていくお話なんだなあとつくづく思う。
そうして、大人は、もう一度忘れてはならないことを思い出して、本当に
おとなといえるようになっていきたいと思ったのでした。


 *久しぶりに2回見ました。文章にも多少書き加えました。