撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

たとえば、ダイヤモンドのように

 スポーツに限ったわけでもないのだけれど・・・


 何か大きなことを成し遂げたり、乗り越えたりするためのエネルギー
というものは、とてつもないものなのだと思う。本人と周りの人々と
あらゆる条件と環境が、奇跡のように結びつき、融合したときに、
ダイヤモンドがうまれるように輝く一瞬がうまれる。


 ひとが何かを成し遂げたいと思った時、オーラのように、立ち上る、
気迫だったり、意志だったりの気のようなエネルギーを発散させている
と思う。ひとりひとりのその動きをいかに、おおきなものに融合させる
ことができるか、波動を合わせるように、大きな波に育つように・・。
(頭の中のイメージは、ラヴェルの「ボレロ」です)
 ばらばらな個人が、なにかの目的に向かってひとつになれる経験を
したとしたら、それは、忘れられない快感になることだろう。


 形を整えたり、切り捨てたり、犠牲を伴う努力をすることがあったと
しても、その犠牲の痛みまで自分のものにできるならばそれもまたひとつの
形ではあるだろうけど、あまり幼いうちにそれを強いたり、まわりの人間が
お膳立てしたり、肩代わりしてしまうのはやはり疑問が残る。


 経験は、自分のものだから。共通の事実に同時に立ち会うことはあっても
おなじ想いを共有できるのは、ほんの一瞬。それぞれが、自分自身の
記憶に、自分のやりかたでインプットする。ものごとに心震わす、繊細な
感受性を持つ人こそ、震える心を自分の内に持ち続けることのできる、
強くしなやかな精神を育んでいってほしいと切望する。そして、私自身も
いくつになってもそんな人を目指したいと思っている。