撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

めぐる、つながる・・

先日の「飲酒運転撲滅メール」の記事
とつぜん載せたにもかかわらず、いろんな方に読んでいただき
また御自分のブログに転載してくださったり呼びかけてくださったり
本当にありがとうございました


昨日、そのメールを送ってきた友人と話す機会があり聞いたこと
そのひとのところへも、やっぱり突然といえば突然そのメールが来て
一瞬、子どものころに一時期流行った(?)○○の手紙メール版?などと思ったけど
内容を見るとそれを送ったり送らなかったりで何が起こるわけでもないし
何よりそんなものを送るひとではないひとからもらったメールだったから
真面目なものであることはわかるけれど、だからといって自分に何ができる?
自分がメール送るようなひとはもちろん飲酒運転するようなひとでもないし・・
と思ったらしい
それでもその時期にテレビのニュースかなにかでその高校生たちが
メールだけでなく街角で手作りのビラなどを配っているものも見かけて
なにか自分のところにもそういうものが来て
なにかしら自分の心のどこかにもそれが引っかかったのなら
自分がしたことがなんの役に立つかはわからなくても
それでもしないよりもしたほうがいいんじゃないかと思ったと
少なくとも
あとになって「あのときしておけばよかった」という後悔だけはしなくて済むし・・と

知り合いのなかで、送ってもそれなりにその気持ちをわかってくれそうなひと
少なくとも、迷惑に思わずに流してくれそうなひと10数名に送ったらしい



自分がこれをしたからといってなんの足しになるだろう・・と思うことはままある
しかしながら誰かのためにやるというよりは
いちばんには自分の心の動きをなかったことにしたくなくてやっていることが多い
いつもいつも
何も言わなくても分かってくれる人がいるというのはそれはとても贅沢な話で
なにか言わなくては、何らかの形で発信しなくてはなにも分かってはもらえないのだ
それは必ずしも発言や主張ではなく
笑顔だったり、後ろ姿だったり、そのひとの指先の動きや選んだものひとつだったり
さまざまなのだろうけれど・・・


夢のカテゴリー?と思いつつ
自分の夢が本当はどこへ向いているのか考えると
「しあわせ」にほかならないのではないかと・・・
そしてそれは「安心」だったり「ぬくもり」だったり「ひととのやりとり」だったり・・
自分が本当の意味でしあわせだったら、平和につながるのではないか・・と


母校が花園に出るとき応援の募金をしたら
わたしが花園にいくからとお餞別をくれた方がいて
今回はそれをニュージーランド地震への救援金に送りました
前から考えていたユニセフのプログラムに
微々たるものではあるけどこの機会に参加することに決めました



どんなに小さくても
なんの影響も及ぼさなくても
それでもわたしの心はこうして脈打っている
それだけでもいつかめぐりつながることを信じるためには充分なものなのです