撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

景色が変わる

お茶を習い始めたのは二年前の六月

着物から繋がったご縁でいかにも丁度良い頃合いに

素敵にちょうど有り難い先生とめぐり逢えた

70代も半ばの先生はいつまで教えられるか分からないけどと

だからこそどこに移られても恥ずかしくないように教えますから

ちょっと細かいこと言うかもよと言ってとても丁寧に教えてくださった

いつか私がお稽古やめるときはこれもあれも譲るからと折に触れて言われてた

まだまだそんなこと先の話でしょう?とのんびり一緒に笑ってたのだけれど・・

 

お子さんはいらっしゃるけれど家に戻るのは不確かで

頼りにするのはかえって面倒くさいと潔い決断で

ご夫婦とも元気なうちが良い潮時と終の棲家に移ることを決めて

いまのご自宅は処分するとのこと

急なことでゴメンナサイねと言われたのが12月の頭のお稽古日

そしてついに昨日が最後のお稽古日になってしまった

お稽古をしてもらっている四人全員が集まってお茶会形式のお稽古の後

先生が用意してくださった昼食をいただき

そのあとは前から言われていたようにみんなにお道具を振り分けてくださった

お茶碗と蓋置のひとつばかり記念にいただければと思っていたら

皆が選んで帰ったあとにあなたはまだ何らかの形でお稽古するべきよ

本を読んで自宅でやってみるだけでもいいから!と

茶杓や棗、水差しに建水、はては電気式の炉と釜まで出してくださって

はい!これでひととおりできるから!とすべて持たせてくださった

 

貰い手がなければ全部処分するのだからというお言葉に甘えて

車に詰め込んでいただいてきた品々をみて改めてご縁に感謝する

先生の教えるものとしての学ぶ姿勢と指導者の覚悟

先を生きる先輩としての人間の目指すべき道

家族というもの、老いていくということ、自分で決め自分で始末していくこと

自分の持てるもの、自分の与えられるもの、そして自分そのもの

 

時を前後して久しぶりに自宅でひとを呼んで食事会をした

久しぶりに大人数の料理の算段をして楽しい時を過ごした

少し疲れはしたもののそれは好きなことを楽しんだのと同じ種類の

とても心地よい充実感を伴うもの

ああ、わたし、もう少し無理してもいいのかも?と思えた

無理はしないまでも、心配しすぎずに予定を組んでいいのじゃないかな?と

 

歳を取っていく自分がどこか淋しくおそろしく

身構えているばかりで動くことを忘れていたような気がする

 

「終わりなんかいつ来るか分かんないんだから」

そう言ったのは誰だったかな?

それは決して悲観的な意味ではなく自分がやるべきことは別にあるということ

 

さあ、私のやりたいことは何だったかな?

私が好きなものは何だったかしら?

周りにいてほしい様々なひとやことは?

 

片づけていたはずの家にすこしばかり増えた素敵なものたち

それは先生からまだまだ頑張りなさいよと託された応援の声

そうだね

歳を取っていくことはただ坂道を下るだけではなく

角を曲がってまた新しい景色が広がることなのかもしれない

昔と同じものは見られないかもしれないけれど

それはまたまったく見たことのないワクワクするものかもしれない

怖れなければ

倦まなければ

 

今年の漢字を選ぶとすれば「変」かなあ?

色々な変化

ちょっとした違和感

すこしだけフラット♭

 

来年はもつれた糸を引き抜いてすっきりとなりたいものだ

もしくは心を(に?)入れ替える?

なんてことをふと思ったりする(笑)