撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

おかげさまで・・・

 母の25回忌が終わった。だれも呼ばず、家で家族だけでの法事
だったのだけれど、このところのいっぱいいっぱいのわたしにとっては
その毎日にまたもやプレッシャーを与える出来事だったことは否めな
い。叔母たちに連絡するべきかどうか?最後まで迷っていたのも事実。
でも子供も体調を崩すし、極めつけはわたしまで水曜日に一度ダウンし
たので、もうこれは母から「もういいから!」と言われたに違いないと
開き直ることにした私だった。


 いつも仕事の荷物を持ち込んで雑多なものであふれていた和室を元の
状態に直すのに一日がかり。夜中にようやく片付け終わり、今朝、お茶
うけの和菓子を店まで買いに行き、これで午後から来られるお寺さんを
ゆっくり待てる・・と、一息。


 と、突然の訪問者・・誰かと思えば、叔母が大きな花束を抱えて
ちょっとお供えだけ・・とやってきてくれた。何日か前には、従姉から
伯母ちゃんのご仏前に・・とお菓子を届けていただいたばかり。みんな
母のことを忘れずに、この日を気にかけて、覚えてくれている。母が
亡くなったすぐには、私よりも母の記憶の多い人たちを羨みもしたけれ
ど、今となれば、母を愛しい人と大事に胸に抱え持ってくれている人た
ちが何とも有難い。


 お昼すぎに予定通りお寺さんがお見えになり、無事法事終了。終わっ
てみれば家族だけのこと何のこともない。しかしながら不思議だった
のは読経の声を聞きながら手を合わせて目を伏せた時にふと感じた香り
・・なぜだかそれは書道の墨の匂いのようだった。その香りに突き動か
されるように蘇る母の記憶。母の笑顔、笑い声、はっきりとした口調、
最後は何ヶ月も病院にいたというのに、思いだすその面影は、明るく
生き生きとしていた。いつの間にか、母と暮らした時間よりも、母を
失ってからの時間のほうがずいぶん長くなっている。それでもわたしの
さまざまなものは母から譲り受け、母から育てられ、母に守られている
ような気が、今でもする。いや・・しばらく忘れていたその感覚を
すっきりと思いだしたような気がした。明るい声で叱咤激励する母の
顔が浮かぶ。辛辣なことをいいながら、その瞳は明るく暖かい。


 ふと家族を見やれば、そのどのひとも母に会ったことはないことに
あらためて気づく。それでも、この席にいてくれることに感謝。亡くな
る間際に何より一人っ子の私が一人になってしまうのを心配していた
母に家族を見せられることだけでもそれは幸せだということだろう。
 それ以上にここにこうしてたくさんの人に囲まれてなんてわたしは
幸せなことか!


 法事のおかげで少し片付いたいえで、もういちど頑張っていくことに
する。「こんなことぐらいでへこたれててどうしますか!家族も大切に
できないくらいなら、みんなやめてしまいなさい!」って明るく言い放
つ母の声が聞こえたような気がした。そして、わたしはまた少しばかり
意地を張りながら、「それくらいできるもん!」って新しい一歩を
踏み出すのだろう。小さい子供の頃はそうやって自分で・・自分だけで
頑張ってきた気になっていたけれど、今になったら分かる。わたしが
そうやって世界を広げてこられたのは、言い放ったあとに心配でたまら
ずこっそり見守ってくれていた母の存在があったからだということ。
 そしてたぶんいまもどこかで・・またはずっと私の心の中に住んで、
見守ってくれている母のおかげで、なんとかやってこられているという
こと・・。そんな存在にわたしもなれるのだろうか?という不安はある
ものの、とりあえず、おかげさまで・・の感謝の心だけは忘れずに
母の分まで生きていかなくては・・と思った。