撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

夢の途中

 新しい年が始まって3週間。身のまわりもなんやかやと
慌ただしかった。昨日は雨のため一日家の中。お昼ご飯に
家族で隣町の蕎麦屋に行った以外はゆったりと過ごす。


 午前中に見た夢には母がいたような気がした。いとこの
お姉ちゃんが、私の母にこれをもらったと、可愛らしい絵の
描いてある花瓶を見せてくれた。一瞬、羨ましい気持ちに
なりながら、すぐ何故か何かを思いだしてその気持ちが落ち
着きよかったねえと声をかけることができた。一方、苦手な
おばに荷物の収納のことを言われ、あなたは何でも捨てて
しまいすぎると意見されていた。普通だったら、何か言っても
聞いてもらえないので適当にごまかすのだが、私がいなくなった
あと、息子ふたりに片づけの負担をかけるわけにはいかない
という理由をいうと、それはもっともだと納得してくれた。
彼女もまた息子ふたりの母親ではある。


 夕方に見た夢にはいろいろな人が出てきた。とりとめもなく
ひとが入れ替わり、様々なシーンに移り変わった。高い場所に
架かる橋を渡りながら、ここまできたねと話していたこと、
誰かが私の手の甲を携帯のカメラで撮っていたこと、列車に
乗っていたこと、車に乗っていたこと、レストランにいたこと
などなど断片的に覚えている。


 今朝はいつも通りの朝・・のはず。家事をしたり電話を受け
たり、普通通りの時間を過ごしているはず・・。


 突然、口をついて思い出されるフレーズ

さよならはわかれの言葉じゃなくて
ふたたび逢うまでの遠い約束


 何故か涙が溢れたと思ったら止まらなくなった。悲しいこと
など何もないのに・・・。


 過去から未来からごったになった夢をみたのは何故?


 久しぶりに庭を眺めると梅の花のつぼみが膨らんでいた。庭に
降りてぐるりと見て回るとほころんでいる梅の花を見つけた。
 知らないうちに季節は巡っている。やがてきづくことも、今は
何も分からないことも、もう、どこかで始まっているのだ。
 生きていること自体が夢の途中なのか、それとも、まだ叶えて
いない夢を叶えるために毎日はあるのか・・。どちらにせよその
夢が、明るく心地よく暖かいことを願っている。