撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

薔薇が咲いたら

 このところの不景気で(?)家にいる時間が長くなったダンナ。はかどらぬ仕事の
プレッシャーで家事がいい加減な私。これはこれでナイスな取り合わせのようで、
かなり家のことを好きなようにやってもらっている。前にも書いたようにもしかすると
ダンナと私、男女逆の方が向いているのかもしれない。


 今日の朝、会社に行ったダンナよりメールあり。何事かと思ったら、「玄関わきの
バラに水をやってください」。そうそう、言ってた。裏庭の隅でけなげに咲いていた
バラを少しばかり整えて、挿し木ができると言う情報を得たので、それで試して
みるって・・・。確かに玄関わきのスペースにバラの枝が・・・。


 このバラはこの家に引っ越してきたときに母が植えたもの。前に社宅に住んでいた
ころは庭にかなりの数のバラの木を植えていたようだ。その中からお気に入りの1〜2本
を移植したらしい。母がいなくなってもう25年。それでも細々と庭の片隅で季節になる
と、きれいな色の花を咲かせてくれていた。その赤を見るときだけ思いだすという、
植物に冷たい、親不幸娘なのである。


 そのバラをダンナが扱っていることがなんだか面白い。少し前だったら、自分は何も
していないくせに「勝手に触らないで!」って言ったかもしれない。その話を聞いた
時も少しだけ「ええっ?」っていう気分がないわけでもなかった。それでも、新しい
場所でツンと立っているバラの枝を見ると、なんだか縁の不思議を感じて笑顔に
なっていくような気もする。挿し木とか接ぎ木とかができる植物ってすごいよね。単純
だからそれが可能なんだろうけれど、それを許す単純さ、シンプルさは、また強さに
つながるのだろうと思う。命をつなげること、自分の命をつなげるものを増やして
いくこと・・・。自分にとって大切なことがはっきりしているからそんなことができる
のだろう。


 自分が思いつかなかったことをダンナがしてしまったという、ある種の複雑な想いは
あるものの、やっぱりシンプルに、バラの木が根付くことを祈ろう。家族の形も、家族に
対する想いもその時その時で変わってはいくけれど、家はやはり、明るくて安心できる
場所であり続けますように・・・。バラが咲いたら、それはまた楽しい話題、大切な
家族の歴史のひとつになるのではないかと思うのだ。