撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

必要な間

 昨日、おとついといろいろありすぎたので、今日はなんだかぶっつり
緊張が切れている。今日が仕事なのに・・・。


 子供を育てているといろいろあります。小さいときにはもちろん。
意外にも大きくなったらまた別の意味でそれ以上!このごろ、つくづく
男の子を育てているのだな・・と思うことがある。時々、女にはどうし
てもはいれない部分、わからない部分があるなあ・・と感じることが
ある。人間であるだけでは足りない、男・女、それぞれに持つ特徴。


 自分がそんなに女らしいとも女々しいとも思っていなかった私だが、
どこかはっきりと違うところがあるのは確か。それはどちらがいいとか
悪いとか、どちらが上とか下とかそういうものではなく、厳然として
ある違いという事実なのだと思う。


 すべてを分かり合えるというのはあり得ないと思う。知ることはでき
ても、同じになることはできないように・・・。「♪男と女の間には」
という歌があったけれど、河があることは事実だのだ。橋を架けること
も、泳いで渡ることも、それ相当の努力をすればできるだろうけれど、
河によって、向こう側とこちら側という違うものであることは、どこま
でいっても事実なのだ。


 そして、それ自体は悲しみでも悲劇でもなく、これまた事実なのだと
思う。同じものだから反発することもある。違うものだからかえって
許しあえることもある。引き寄せられることも・・。
 ただ、ちがうものだということを忘れてしまうとそれはおかしなこと
になってしまうのだろう。違うと知っているからこそ、いつも、常に
努力しているからこそ、うまくいきやすいこともあるのだろう。


 その河は・・・人間関係に必要な距離・・間・・なのかもしれない
などと考える。本当は、どんな場面にも、どんな相手にも、その時々に
その距離と性質を変えながら存在する・・・。


 と、書きながらふと思う。緊張の後は弛緩・・。忙しさのあとには
ぼーっとする時間も必要なのだろう。昨日の仕事帰りに、事務局の方と
忙しいでしょう?と話しながら、「お風呂でいったん湯船につかっちゃ
うと、ワープしたかのようにいつの間にか時間が失われたように経って
しまうんですよぉ!そんなひまないのに・・」というと、「いえいえ
お風呂っていうのはそんなところでしょう?私もですよ」って笑われ
た。フムフム、と納得して心が軽くなった。きっと、忙しい、張りつめ
た時間と、ゆったりとした自分のための時間を、そのひとはきちんと
切り替えているのだろうなあ・・・などと感じられる。自分のなかに
持っているいくつかの人間のあいだにも、そういう時間的な間をとる
ことによって自分の中にうまく住まわせていくのかもしれない・・・
などと、まだまだ仕事を始めて日の浅いわたしは考えさせられたりした
のでした。