撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

我慢する(ちりとてちん)

 喜代美が悔やむ。ホントのことも知らなかったくせになんで
草々にあんな言い方をしてしまったのだろう・・と。しかしながら
思った。ああ・・草々が今までやってきたようなストレートさ
そのままで喜代美に言葉をぶつけられているなあ・・と。それが
草々だったのだから仕方がない。草々がまさかあんなことをする
とは思いもかけなかっただろうから。喜代美と草々の関係が今まで
そうだったのだから仕方がない。ある意味、自分がしてきたように
自分は扱われるのだ。


 しかしながら・・時に悔やむ。どうして私は分からなかったのだ
ろう・・と。ひとが言わなかったこと、ひとが隠していたこと、ひと
がじっと我慢していたことを・・。どうしてあのときに気付くことが
できなかったのだろうと・・何度も悔やむ。


 苦しいことや憎まれたことは気付かなくてもいい。忘れてしまって
かまわないことなのだから。しかしながら、ひとの善意や気遣いに
気づけなかったことはなんて口惜しいことをしたのだろう、なんて
心ないことをしてしまったのだろうと思ってしまう。


 それに気づけるようになるには、自分にもその経験がなければ
ならないのだろうな・・。そしてもうひとつ大切なことは、なにより
自分ばかりが相手や周りを考えているのではなく、相手も・・様々な
ひとも、それぞれに考えてくれているのだと思えること。愛に気付く
ためには、愛を信じることが必要なのだろう・・と思う。


 春が来ることを知っているから冬のつらさも楽しめるように、
いつか心が通じ合うことを信じるからこそ、そのために我慢する
ことができるのだろう。天狗芸能のあのおっさんが悪役ではあるけれど
悪人ではないことも・・何かを感じながらも草若師匠が草々を破門に
したことも・・本当に目指すべきものを信じているからこそいまは
世の中のつらさ厳しさを我慢することさせることを選んだのだと
考えたい。


だとしても・・どんなに覚悟してついた嘘も、大事なものを守るための
秘密もそれはそれが引き起こすことまで引き受けなければならない。
 たまらず逃げた事柄も、見て見ぬ振りをしたことも、どこに流れて
いこうともそれは自分のものになっていつまでもやはり逃げられない
のではある。それでも・・それを感じることができるなら、自分の
手を離れたとしても、もう一度掴めるのなら・・信じることをあきら
めずにもういちど手を伸ばして抱きしめて欲しいと思うのだ。


 教訓・・・酔っぱらいの相手はしてはいけません
 でも・・女の子に手を出そうとしたり、小草若につっかかったり
尊健、若手ナンバーワンにしてはやることがせこいぞ。草々だけでなく
小草若にまでやられてるし(弱い?)彼も彼なりになんか悩みあるん
やろか?と、思ってしまったりして(笑)