撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

水の中を・・・

11月から始めた水泳がなかなかいい感じで続いている
ときおり泳げない事情が続いて久しぶりになることはあるけれど
いく時には楽しみだし思い出したらその続きから始められる
当初は25メートルホントに泳げたのかと心配だったけれど
いまはまぐれではなくそこまではクリアと言えてると思う


先日のこと
いつものようにセンセイのレッスンを受けようと思ったら
第五週にあたるというのでクラスはお休みだった
せっかく来たのでとりあえずプールに入ることにする
黙々と25メートル往復を重ねる
どうも考えるに歩いているひとと変わらないスピードのよう
でもまあいいの、無理は禁物
続けることに意味があるのさ、と淡々と8往復ばかり


と、そうだ
もうすこしローリングと手を伸ばすのやってみようと
右で息継ぎをするときの左手はどうしてもじたばたしてしまう
でもからだだけ左側に傾ける時の右手はけっこう伸ばせるね
左手はゆっくりと水の外へと出せる
そんなこんなを考えながら泳いだらなんとなく25メートル泳いだあと
いつもと違って息も上がらずとても楽な気がした
んん?なんか気持ちいい?(笑)


水の中へと足で蹴って進むので最初の5メートル
まもなく最後の5メートルのテープを息継ぎの横目で見る
ひといき頑張ればゴール
なんとなくねその間の15メートルがとても楽になったの
ぜったいタイムも早くなってる
ま、いままでのタイムが♪歩く速さで〜ですけどね(笑)


調子に乗って予定時間超過してでももうすこしやっちゃおうか!
とも思ったけれどそのあとに仕事もあったことだし
過ぎたるは及ばざるがごとし・・と自分に言い聞かせて
きょうのところはこれくらい、と切り上げました
とりあえず16往復800メートル
プールに入っていたのは1時間もないくらいだけれど
いつもの二クラス2時間弱で泳ぐ距離よりはいってると思う
自分としては
「このあたしがだれにいわれるでもなくただ黙々と泳ぐなんて!」
と、ちょっと前には想像できないことをしてるのが面白かった


泳いでいるときには
およいでいることに関してしか考えてない
それもこのごろようやく自分がどんなことをどんなふうにしているか
すこしだけ自分で感じられるようになった程度
キックのリズム、腕の動かし方
右からひだり、左から右へとうつっていく体の感触
軽くできてるな
ちょっと疲れたかな
あ、集中力途切れたら動きがいい加減になる
ふむふむ、まだ相当考えて体を動かしてるわけね


そして端まで泳いで立ち上がった時の蘇る音
我にかえったような
色がもどった写真のような
非日常から日常へと戻るような


ああ、これも小さな旅なのかしら?
短い短いなにかを探しにでかける旅
いつもとはちがうものに出会える旅
緊張してちょっぴり疲れて
それでもなにかを見つけてにんまりして帰ってくる
それを想うとワクワクして
それを振り返るとちょっぴりきゅんと幸せになれる


さあ
また次はどんなものにどんな自分に出会えることやら・・・

三月十一日に

http://d.hatena.ne.jp/nadeshiko1110/20100901/1283358936


ああ、今日か・・
起きたらそう思って
天気を確かめた
あの場所は晴れているのだろうか
風は吹いているのだろうか
その地に立つ人はなにを思うのだろうか


私にとっては三月九日が母の命日
そして今日は結婚記念日
どちらも忘れられない日
そしてその数日間は胸が締め付けられる


朝ご飯を食べながら新聞を開いて
なんの気なしに読んでたら古今和歌集の話
あら、大宰府の博物館であってるやつ、これは見に行かなきゃ
それつながりで本棚を見ていたら
ふと目についた「空の色に似ている」
日の当たる縁側でほんのすこしだけ開く
疑問符が感嘆符へ
もういいかと思った想いがまたもう一度よみがえる
こころはこんなに変わりやすく揺れやすい


折々に誓った想い
節目節目に立てた願い
いまわたしはちゃんとできているだろうか
すこし早めに感じた春に
動き始めてちょっと転んで
ようやくもういちど出直そうと思っていた昨日今日


そうしようと思ったことをあきらめないことは
自分との約束を守ってあげるということですよ


いつか聞いた言葉が鳴り響く


大切なのは動くこと
自分が動きたいと思った時に
あきらめなくていいように準備しておくこと
それが自分にできること


そう
自分にできることは
しなくてはいけない
と、
今日のこの日に書き記しておこうと思う



いつか
優しい気分を支えられるつよさを
ずっと持てるように

春は

思いがけない強い香りに驚く
満開の梅の花
それも可憐な白梅が
記憶の奥深くまで染み込みそうなほど


桜はもう待ち構えている
すこし憂鬱の気配を混ぜたピンク
もうガウン一枚を残すのみ
緩む空気を震わせながら
今年もこころを奪うのだろう


春は巡ってくる
いつものとしと同じように


それでも
もう帰らないものもあれば
今年初めて知るものもある
こんなにとしを重ねたというのに
ひとつとして同じ景色は思い出せない


まだ見ぬ初めての春よ
どうぞ優しくして頂戴
わたしと
わたしが大切に思うすべてのものに
まだ出会っていないたいせつなものすべてに

手離す

天気のいい昼下がり
靴を捨てた


もう未練はない
悲しい思い出も一緒に忘れる


雨にけむる街並み
目の前で閉まるドア
無くなった予定
無くした時間


ぜんぶ靴のせいにしてしまって
葬るように白い薄紙に包んで処分する
ちいさな靴は萎れた花束のように
こときれた鳥のようにぐったりと横たわる
柔らかな花びらのようなその皮のかざりも
華奢なヒールもストラップも
みんな眠るように静かに目を伏せている


本当に悪かったのはわたしだといまでは分かる
それでもそれを認めることはやっぱりできない
それはそのときの自分には必要だったのだと
時折壊れそうになるこころを抱えながらつぶやく


もういい
もう大丈夫だから


月夜の数時間の早回しの画像を見た
輝く月が翻るように動いていった
毎夜のぼり沈む月は花びらが舞い散る様
または
踊る手の先に持つ扇子の動きさながら
あれから幾晩月を見た?
あれからどれだけ扇を掲げた?
・・たぶん、一曲舞い終えたあたり
永く感じた年月も
繋ぎ合わせればその程度
さあ
扇子を置いて深々と頭を下げ終わりを告げよう



ひとつこころから手離す

ジグゾーパズルのように

スイミングのレッスンはいまのところ
三人の先生から習っていることになる(ひとり増えた)
おなじことを習っていてもみんな違う
手の掻き方ひとつとっても???となる
おまけに教え方も様々
手取り足取り直してくれるひともいれば
呼びとめて伝えてくれるひと
説明をくわしくしてくれるひと
考えすぎると分からなくなってしまうこともあり得るほど
それでもそれを分からないまま並べて眺めるように考えていると
ときどき繋がるピースが見えてくる
そう、ジグゾーパズルみたいにね


人生の中でもそういうことってあるなあとこのごろ特にそう思う
分からなかったこと、不思議でたまらなかったことが
いつかするりとその意味を表し、ある日すとんと腑に落ちる
あぁ、あのときのあのことは
きっといまのこのためのレッスンだったのだと


いつか綺麗な絵のようにものごとは理をあらわすのだろうか?
それともそれは大きすぎて
いつまでたっても出来上がらないまま
分かったような気になってはまた悩むのだろうか?


まあいいや
泳ぐことも
生きることも
まだまだきっと楽しくなる
そう思えるのだもの

歳を取って見えてくるもの

もう何回目だろう
最初は母が大好きだったから観ておいでと薦めてもらって
珍しく上映があったときに夜だというのに
友達と一緒に友達のお母さんに送り迎えをしてもらって観に行った
たしか中学生のころだった
その映画館の特別上映で後になってみてみると
その映画館は普段は成人映画が主だというのにもびっくりした


はじめはその画の美しさとオードリーヘップバーンだけ観てた
次のいつかはどうしてこんなオジサンがいいのだろうと思った
そのうちにはお母さん、分かってる!と思い
フレディいいやつなのにかわいそう?とかも思い
いつかは大佐、かっこいいとかも感じて


ひとまわりして久しぶりに観たら
やっぱりこの映画の主役はイライザとヒギンズ教授なのだなと


そしてお互いにちゃんと好きになって恋してるくせに
おとことおんなってこんなに気づいたりあらわしたりが違うのね


そしてもうひとつ
たかが言葉されど言葉
イギリスでは日本以上に言葉と階級が絡み合って
その階級もこの時代はもっとシビアなものがあったんだろうな


手を取られて始まる恋心
一緒に過ごすという意味
二人の間の垣根をとびこえさせるという愛
それを受けて越えるという情熱
ひとりでも立ててそれでもふたりでいたいと思う気持ち
そしてようやく何気ない言葉がふたりだけの言葉になる


数年ぶりにふとケーブルテレビであっていたのを途中から観て
たまらなくまた観たくなって
昔録画してもらっていたものを引っ張り出して繰り返し観てる


ちなみに母の好きだった映画はこれともうひとつ「王様と私
どちらも観るたびにより深い意味に気づかされる



上方修正

去年のクリスマスプレゼントは新しいスイムウェア
数年前の自分にはそんなもの考えも及ばなかったこと
年末には受付の女性とその話ではしゃいでいたので
新年はじめてのレッスンではセンセイは見逃さずに
「おニューですね〜!」と声かけてくれた(もちろん可愛い女性のセンセイのほう)
水を弾くでしょう?って言われたけど
まだウエアで泳ぎ心地が変わるほどに繊細なところまでは分かってないので
いまのところ気分が上がるっていうだけですが(笑)


25メートル足つかずに泳げることがまぐれではないことを確かめ
年末に左腕が筋肉痛になっていたことを受けて
腕の無理のない動かし方の確認をして
まずはよしよしと始めた一回目


数日空けた二回目はセンセイお二人に寄る2レッスンの日
ひとつめはクロールのそのつづき
もうひとつはその日の種目次第なので
去年は見よう見まねのバタフライと
出来るかと思ったら水中スタートでくじけた背泳ぎ
今日はいったい何が来る?と怖れていたらクロールとのこと
それならよしよしと参加していたら
水中での逆立ちから同じく水中での前まわり一回転
(地上ではもうできそうにないです)
いやいや、25メートル以上まだ泳げませんから
泳ぐとしても水中ターンなんかしませんから!
とはいえ、やってたらなんとかできたのでわりと気分よくなって
それに続く腕だけでの50メートル3回もクリアしてしまいました
(もちろん50メートルごとにひといきつきながらですが)
最初の50メートルがぜえぜえ言ってたのに比べると
3回目はだいぶましだった
力を抜くところは抜くこと、無理せず早目に息継ぎすること
それだけでかなり楽になったかな
ローリング、ポイントでした
そしてもうひとつは流線形の大切さとその作り方
ん?ターンと流線形という基本
この間テレビで観た奇跡のレッスンと同じですね〜


400メートル泳げるようになったらもういくらでも大丈夫ですよ
って、センセイ言われてたけどそんなもの?
でもまあ
200メートル泳げるようになりたいっていう今年の目標を
少し早目にクリアしてそのあたりまで今年いっぱいにできるといいな
(そのあたりって、あくまでも400メートルです)



明日のレッスンはまた違うセンセイに習う予定
そしていつものかわいい先生にもうひとレッスン
夜は奇跡のレッスン再放送録画してみなくっちゃ
だからプールへはお昼から出掛けることにします!
これまで体力がなくて仕事する前にそんなこと無理!って敬遠してたけど
それじゃいつも後回しで体力だってつかなくて・・
やると決めたらやるしかないし
やってりゃなんとかできるようになるし
今年はそんな年にしようと思う


もういちど
もうすこし
欲張って
頑張って
楽しんで
もちろん苦しむこともあるかもしれないけど
それができるだけ幸せじゃない?
家も仕事もそして遊びも趣味も
やりたいことは我慢しない!
やるべきことは必ずやる!


ね、いいよね(笑)


奇跡のレッスン、水泳編、明日1月11日放映分です(再放送)
http://www4.nhk.or.jp/wonderlesson/x/2018-01-11/11/5877/2549181/