撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

時代劇とジャパンのゆく道

昼間・・ダンナがふとつぶやく
アメリカで西部劇が作られなくなるっていうのは
日本で時代劇が作られなくなるっていうのみたいなものかなあ
なんだか失われていくものがあるよなあ・・・


それは・・せっかく交代したのに水戸黄門がなくなると入浴シーンがなくなる・・
っていうのではなくて(だれもそんなのを楽しみにしてるわけじゃない!とダンナ)


西部劇だとなに?馬に乗ること?いまどきのアメリカの俳優はみんな乗れるのかなあ?
なんて・・
日本の時代劇だと、乗馬もだけど、一番に思いつくのはチャンバラの場面かなあ・・


で、ふとこの間から思っていたことを思い出す


なんかさ、ラグビーでボールを投げるのって
真剣でなにかをスパッと斬るときの
刀をシュッと振りかざす、あの感覚に似てない?
自分の腕や手だけでなく
その延長線上にあるものを自在にあやつるという意味で・・
その見えない軌跡を描くということがどこかボールの道筋を思わせるようで・・・


でまた話題が広がって(っていうかこの場合私がしゃべってるんだけど)
そういえば柔道やっててラグビーやってるって子は多いけど
剣道やっててラグビーやってますって子、いまは少ないような気がするなあ
昔は柔道と剣道とどちらもいたような気がするけど・・
なんだか柔道はフォワードっぽいよね
それに比べると剣道のほうがバックスっぽいかも?
体型のイメージもそうだし
直接的に組むのじゃなくてちょっと相手と距離があるあたり
あの実際に剣を交えてないのに「参りました!」なんていうのってさ
タックルされてないのにそのプレッシャーに負けちゃって蹴りだすのとちょっと似てない?



なんて勝手な感想が繋がってしまった


なんだかね
時代劇がなくなるっていうのは
気づかなかった日本の文化がひとつなくなるような淋しさがあって
それは
なんだかジャパンのラグビーにとって大切なものが
ひとつなくなってしまうような危惧を感じたりしちゃったのです


だからこんなタイトル・・というわけ(笑)