撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

地震で思うこと

福岡の地震の時のことを思い出した
それはラグビーのクラブチームの卒業式の真っ最中だった
なにか動いた?と感じたらあっというまに揺れが広がって
卒業記念に中3と中2がやっていた試合も中断となって
みんなグラウンドの真ん中に避難した


わたしにとってそれまで感じたことのない揺れで
これが地震っていうものなんだって思った
芝生のグラウンドの真ん中
あたりには高い建物なし
まずは安心
もしこれで命に関わるようなことが起こったのなら
それはここにいるひとたちとのつながりが
運命を共にするというほどによっぽど大きいということなんだろうと
どこか冷静な頭で考えていた


パニックにならずに済んだ理由として
ひとつは子ども二人が私と一緒にその場にいたということ
ダンナは家にいると分かっていたこと
私はもうすでに両親を亡くしていてそのほかに心配すべき身内がいなかったこと
私の両親が建てたわたしにとっての拠りどころである家に
ダンナがひとりでいるというのも面白いよな・・なんて思ってた


あのときの被害は相当なもので
実際、そのあと携帯が繋がりにくくなったり
すぐ近くのひとの家では食器棚が倒れたなどという話もあったけど
とりあえず無事に家に帰れて
家の中も揺れただけで壊れたものもないほど無事だった
しかしながら立っていられないほど相当揺れたらしくて
そのなかでなにも起こらなかったことが不思議なほどだったし
家にひとりいたダンナがいちばん怖い思いをしたようでもある


と、ここまで書いて
なんてわたしは両親に守られていたのだろうと思い至る
それが偶然だったとは言えないほどに感じられてくる


どんな時もひとつ道が違えば未来はすぐさま変わってくる
ここまで生きてこられたことは無数の幸福の上に成り立っているのだと知らされる
生きていくためには・・・
生きていきたいと思うこと
生きているということは感謝すべきことだ思い伝えること
そして生きていることを大切にすること
それでもいつ終わるか分からないことだと忘れないこと
それなら・・なにをする?なにを伝える?


執着ではなく愛を
不安ではなく思考を
傲慢ではなく感謝を


何もできないと思えるほど小さな力ではあるけれど
伝え続けたい



大変なことになっている方はそれだけで大変なのだから
無事でいられたものこそ
無事でいるときにできることをひとつずつ変わらず続けたい