撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

ありがとう(ウェルかめ)

 木曜日に少しは盛り返したかと思った株が、金曜日には不安要素を垣間見せ、土曜日にはやっぱり底力のないことを暴露してしまいました・・・という気分のここ数日の私のウェルかめ評価でした。


 言いたいことはいろいろあるけれど・・編集長とか、シール貼ってることとか、所詮の波美を雇う会社は波美を雇う会社のレベル・・とは言わないまでもタイプだよな・・とか感じちゃうし・・。
 しょっちゅう実家に帰る波美ってどうよ・・そんなにすぐ帰れるんなら、わざわざ電話で知らせなくても「じゃ〜ん!」って自慢すればよかったじゃん!とか・・。


 でもまあ・・そんなことはもうどうでもいいよ・・・考え方の違う人のことは分からないのだろうな。昔だったら、歌謡曲ひとつとっても、あらゆる世代のひとがそれになじみ親しんで、テレビにしてもみんなで一緒の番組を見て、子供としてはもっと違うものばかり見たかったけれど、時代劇も見れば、落語も見る、演歌も聴けば、たまには劇場中継なんてのも見させられたりして、知らず知らずのうちに日本のあらゆる文化・芸能に触れる機会もありました。でも・・いまのひとたちは、自分が選んだ自分の好きなものだけ・・自分が分かるものだけ、自分を肯定してくれるものだけに囲まれて生活していくことも不可能ではないのだよね・・・と思ってみたりもする。
 違いを認める・・のは大切なことだけれど、何も知らない人(お互いが持っている情報や常識がまるで重ならない人)と、その人が知っていることだけで会話を成り立たせるのはいかに大変か、またそれがお互いにとってどんなに苦痛なことか・・と想像してみたりする。


 「ありがとう」の使い方が許せなかったわたし。勝之新が波美にあんみつを渡した時に「ありがとう」のひとことがなかったことがすべての原因ではないかと思うのだけれど・・。何か貰ったなら・・それを受け入れたならありがとうって無意識に言うよね・・というのがすでに常識ではない?ましてやよそのひとになら・・。ここでも波美が勝之新をどうあつあっているか・・が癇に障る。自分が好きか嫌いかと、自分の上か下か・・だけで人間をみているように思えるから・・。
 だから勝之新は、あんみつくらいでありがとうを言わない波美を逆手にとって、ありがとうって言ったなら自分のことに口添えしろと、嫌みで言ったのかなと思ってしまった。どちらにしろ、ありがとうと言う言葉をそんな風に使う扱い方がどうも生理的に嫌!それだけ!
 加えていうなら、自分がやっと手に入れた記事の印刷物の上に平気であんみつの蓋をおく波美は信じられない!!!


 言葉に心がこもっているとか、ものに命が宿ってるとか、到底信じても理解してももらえない人たちが作っている作品なのじゃないかしらんと思ってしまった今日のウェルかめ・・・なんか来週からどうしようかな?
 続けるとしたら、うるさいおばさんの言い分・・的なものになりそうでなんだか嫌です・・・。