撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

兄弟は他人の始まり

 兄弟げんかはすさまじい。女の一人っ子で育った私にとっては、
そんな息子ふたりの状態を見るのがなんともいえないときもあり、割っ
て入ったわたしが最後までいきり立って、いつの間にか兄弟のほうが
仲良くなってしまってなんなんだ〜!ということがよくあった。結果、
経験のないものは分からない・・男どうしには男どうしにしか分から
ない部分もあるんだ・・とちょっと学習した。


 このところ、父(ダンナ)と次男のぶつかり合いがひどい。次男の
態度もなんだけど、父の態度も大人げない。なんだか私としてはその
大人げないのがゆるせなくて、二人のぶつかり合いを見るのがストレ
ス。それでいてふたり仲良しなのもなんとも言えない。


 次男と車でふたりのときに、いったいあれは何とかならないのかと
聞いたら、「もうすぐおさまるっちゃない?」との一言。なぜかと
いうと、もうすぐ自分のほうが体もでかくなるし、力だって強くなるし
お兄ちゃんとパパだって、高校生になればもうパパなんも言わんくなっ
たやない?ちょっと前よくいろいろぶつかりよったやない?だって。


 へっ?男どうしって、そんな単純な力関係なの?と、それはちょっと
違うだろ?と思いつつ、でも、そのいくらかはそういう部分が確かに
あるのかも・・と少し考えさせられる。


 父としても、自分を追い越していく年代というのは複雑な想いを
抱えながら我が子を見つめているのだろうか?また、その時期に
明らかに子供のほうは、揺れ動く時期を通って、やがて自分なりの
自信をつけていくのだろう。同性の親と異性の親の子供に対する想いは
それぞれに違うのだろうなぁ・・と考えさせられる。


 先日中学校に行った折に知り合いの先生と話す機会があり
「○○くん(次男)は面白いですね。勉強はしてないからできないけど
頭はいい。まわりのいろいろ、人間関係などを実によく見ている」
と、言われた。おい!勉強してくれよ!と思いつつ、それはそれで
面白いと思った。次男というより、末っ子・・という扱いでなんだか
いつまでも子供だと思っていたけれど、彼は彼なりに自分の世界を作り
つつある。自分なりの考えを持ち、その考えを人とかわしつつある。
 決して、小さな世界で知ったかぶりの小さな人間になって欲しくは
ないけれど、一時期の、何をしても自信がもてないような、居場所を
探しているような彼にくらべれば、いま現在のふてぶてしさはある意味
頼もしくもある。


 ・・と、異性の親は息子に甘いのかもね。今しばらくは、家の中で
密かなる男の権力争いが繰り広げられるのかもしれない・・と思えば
ひとり高みの見物としゃれこむことにきめて、いちいち男どもの言葉に
腹を立てるのはやめようかな・・と自分の気持ちを落ち着けている。


 兄弟は他人の始まりとは、兄弟がいることは社会性を身につける
第一歩目の経験ができる・・と解釈しているのですが、兄弟だけで
なく親子でもそんな経験ができるってことは???これってやっぱり
問題なんじゃない?う〜ん・・次男どうしだものなあ・・。
 私の父の座っていた席に当たるような食卓の位置に、いまや長男が
いつのまにか座っていることに気がついた、昨日の食卓でした。