撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

思考の中のわたし

 実験をするときには予想をたてる。目の前の事実と対比させるのには
雛形のような予想・予測が考えを組み立てるのに有効だからだろう。


 事実が厳然とあるものはいいが、思考するときに何か予想のような
ものを持っていると、知らず知らずのうちにそれに縛られて、その
考えによって、情報を取捨選択したり、見るべきことが見えなくなったり
することがある。人に対する先入観や好き嫌いなどいい例だ。


「仏教では理解し、それを記憶してそのままたもつことを「総持」と云う
一部だけを「私」の都合で覚えるのではなく、総てを記憶することを
とても重視した」
 西日本新聞玄侑宗久氏の文章からお借りしている。
 すっかり暗記しているお経を唱えているときの状態を、それに対して
一切の判断や好悪の感情を持たない状態・・といってある。


 ずっとそんな状態でいられるわけではないけれど、心を落ち着けたい
時、まっさらな気持ちではじめたいとき、そんな気持ちになれるといい
なあと思う。
 いま この時代に 「丸暗記」という文化 流れぬ時間で心が晴れる  
という記事です。