撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

間違わないように(さくら)

 教頭と教え子の話は桂木先生にはとても感じるところがあった
ようだ。「教師が信じてやらなくてだれが信じるというんだ」。
教頭の言葉が深く胸に突き刺さる。


 もうひとつ残ったのは、甲子園に友達を出させるために自分が
罪をかぶったという教え子の「オレには夢なんかないから・・」
という言葉。人から信じてもらうことが人に大切に愛されることだと
すれば、自分で消えない夢を見ることは、自分を信じて自分を愛して
やることではないのか?自分の人生を大切に生きるためには、愛が
必要だ・・・そう思ってしまう。
 「待っているから、出てきたら必ず私の所に来るんだ」と自首を
した教え子に教頭がかけた言葉は、他ならぬ「愛」だろう。


 盗まれたと思い込んでいた財布は自分の家にあった・・と。苦しむ
生徒を前に、さくらは「どこかから出てきたことにしよう」と提案
する。それを、はっきりと否定して、自分のしたことは自分で責任を
取らなければならない・・という桂木。これはどう考えても桂木が
正しい。さくらのいうようなことをしたら、結局うやむやになって
だれかが疑われることになって、なんの罪もない生徒たちにわだかまり
傷を残すことになる。自分の思い込みで人を傷つけたことは、今は
申し訳なくて恥ずかしくて逃げたいことだろうけれど、それは罪では
なく失敗の範疇。なにより、桂木のいうとおり、それによってこんなこと
が起こったのだから、責任を取る義務がある。誠意を尽くして乗り越えれば
いつか思い出に、笑い話になると信じて・・・。


 ひやりとしたのは、人間、さくらのような間違いをともすれば起こさ
ないとも限らないかも・・と思ったこと。目の前に泣きじゃくる愛しい
ひとがいたら・・頭に血が上ってしまった自分がいたら・・。この場を
切り抜けるために、とてもいい考えだと思ってしまったことが、よくよく
考えてみたら、とてつもない自分本位な考えだったり、その場しのぎの
くだらない考えだったりすることもあるのではないかしら?


 教師というものを考えさせてくれるこの「さくら」というドラマ。それは
また、大人が、子供に対して、後輩に対して、ひいては自分が何かを伝えたい
と思う相手に対して、どう向き合うか・・・そんなことを考えさせてくれる
ような・・そんな気がしている。