撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

『母親』という存在(どんど晴れ)

 「加賀美屋のしきたりです」という女将と大女将。「責任は上の者が取る」
と。夏美の犯した過ちの責任をとって仲居頭のときえが加賀美屋を
やめることになる。


 夏美の失敗で、夏美を追い出せると思っていた伸一はその事の成り行きに
うろたえる。母親とも思っていたときえが、こころよくおもわない夏美の
ためにいなくなってしまうなんて・・・。


 男にとって、母親という存在は特別なものなのだろうか?ときえがどこか
仲居頭としての立場をほの見せながらも伸一にそそのかされるように夏美に
あたっていたのが今となっては納得できる。伸一に旅館を継いで欲しいという
気持も、伸一の願うことはなんでも叶えるために力を貸してやりたいことも
彼女が伸一を我が子のように可愛がっていたからこそなのだろう。実の親
だったら可愛がってばかりだけでもいられないところがあるけれど、ときえに
してみれば、伸一は可愛くて仕方のない存在にちがいない。


 環にしてみれば、ときえをやめさせることもたまらないことだろうし、
なにより、我が子を手放しで可愛がり、甘えさせ、安心させる、ただの
「母親としてだけ」の存在になることのできない自分の立場もまた、歯がゆく
て、辛くて切ないことに違いないことだろう。


 しかしながら、「えみこさんがいらっしゃいます」と言ったときえの言葉は
これから先を的確にあらわしている、ときえの伸一への愛情のこもった一言に
思えてならない私です。