撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

親というもの

 母が亡くなったとき、まだ学生時代だった。卒業式に出た私に
みんなが慰めの言葉をかけてくれたが、その中でも現代文学の先生が
くださった言葉がそれからの私を支えてくれた。「親との別れは、
どんな人にでも2回あります」。


 いろいろな別れを考えた。私よりもっと早く親と別れたひとは
もっとつらい思いをすることだろう・・とそのころは思った。いつか
どんなときに別れても、その時々のつらさ、悲しさがあると思った。
幼い頃、若い頃の激しいつらさとは別の、年がいってからの染み渡る
つらさも、幾分想像出来るようになった。これでもう充分・・なんて
ないと思う。別れてのちになお、淋しさは募ることもある。年老いた
親を、覚悟の上で看取ったとしても、その思いがけない喪失感にとら
われてしまうこともある。


 意識しているかどうかに関わらず、親には甘えていたのだと思う。
いてくれるだけで甘えさせてもらっていたのだと思う。それは、生きて
いるうちにはなかなか気づかないけれど・・・。


 居なくなった母が淋しくて、一番大切にしたい人がいないのが
切なくて、父に、ひとに優しく出来ない時期があった。母にこそして
あげたかったことを、出来なかったことを他の人にするなんて出来ない
と、どうしても出来ないことがいっぱいあった。


 もう、いいだろう。充分に私は愛してもらった。父も母もわたしの
なかに生きている。父と母にもらった愛情を糧に、今度はわたしが
親になる番だ。自分が、愛して欲しいように、人を愛することが素直に
できますように・・・。枯れることなく、愛せますように・・・。