代わりではない(芋たこなんきん)
昨日・今日と、すみこさんの法事をどうするかでもめている。
家で、みんなに集まってもらおうという町子に、ためらう人々。
「そやかてねえ・・」というニュアンス。
健次郎さんが言う。町子は僕の妻であって、子供達の母親の
代わりではない。子供たちにとっても母親はすみこであり、町子は
町子おばちゃんとして慕っている。町子も、僕の可愛いと思ってる
子供を愛しいと思ってくれている・・と。
誰も、誰かの代わりにはなれない。そのひとのいた場所に座った
からといって、そのひとと同じ扱いを受けられるわけではない。同じ
仕事をしたり、役割をしたりすることはあったとしても、そのひとに
なれるわけではないんだ。そして、人と人との関係は、自分なりの
やり方で、自分で築いていくしかないんだろう。だからこそ、かけ
がえのない関係になっていくんだろう・・・。
晴子さんは、まだなんとなくぎこちない。わたしも、ひとつだけ
気になることはある。誰も誰のかわりになれないことはわかった
けれど、大切な忘れられない人のその場所を思い出とともに、ずっと
空けておくことはできないのかしら?「愛する人」という席は一生の
うちにいくつも持てるものなのかしら?「妻」という席は?
ひとは、強く、弱い。ひとりではいられないと思ったり、ひとりの
ほうがましだと思ったりする。愛する人の思い出を胸に抱え持ちながら
ひとを愛すこと、愛する人の思い出を胸に抱え持つ人を愛すること、
それは、とてつもない強さのいることではないのか?時折思う。
過去や未来に怯えるひとには、人を愛することは難しいことだろう
と・・・。
鯛子さんもいってたじゃないの・・と町子がいう。奥さんのこと
大好きでした、すみこさんのこと大好きでした・・って。そして、
小説家としてのすみこさんをすごい人や!と。認め合うからこそ、
その存在を受け入れられるのだろうか。つくづく思う。本当の恋愛には
自分自身のしっかりとした存在が要る・・・と。