撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

その21 境界線

 あのひとはわたしを見つめる。優しいような困ったような眼差しで。
くちびるは何かをいいたそうにしながらやっぱりやめたように閉じ
られている。どうしたの?と訊ねたくなる。でも、わかっている。
何も話すことなどないのだ。訊ねるかわりにわたしはあのひとを
見つめる。何も考えずにただ見つめる。わたしの存在を知らせるため
に・・・。あのひとの指先がわたしのまつげに触れる。わたしが
その瞳を閉じずにいられるほどの静けさで・・。わたしはあのひとの
指先を見つめ続ける。


 あのひとに触れられながら思う。ちょうどほどよく熟した桃の皮を
剥くのは難しい・・。でも、このひとなら桃にひとつの傷も付けずに
きれいに剥いてくれるのではないかしら?


 わたしがその眼差しで引いた境界線をあのひとは侵すことなく私を
確かめる。まつげの先から足の小指の爪の先まで・・・。そうして
ようやく言葉を交わし、わたしのご機嫌をうかがい、私のお城の扉を
開けるのだ。ふたりの時間がふたりだけの速度で流れる。私はあのひと
のぬくもりに安心してそっと目を閉じる。
 いつのまにか境界線は消え、あのひとの世界と私の世界が溶け合って
いる。決して重ならないはずの世界が・・・。