撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

同じものを見る(純情きらり)

 「思い続ければ叶うこともあるんだねえ」
 演奏会を開けることになった桜子。それは、僕にとっても夢だから
と、応援する達彦。ふたり寄り添い、同じものを見つめれば、夢や
幸せも、ふたりいっしょにみつめることが出来るんだ。桜子ひとりが
思いつづけたわけではない。達彦が、桜子に託しながらも、桜子以上に
音楽を愛し続けていたからこそ、願いが届いたんだ。


 やがて、見えなくなってしまう亨に、なるべくたくさん自然のものを
見せたいという冬吾。亨に桔梗の花を見せる桜子。亨は、忘れないだろう。
桔梗の花を、桜子と桔梗を見たことを、桜子と過ごした優しい時間を。


 冬吾と笛子のちょっとしたズレが見ていておそろしい。なぜ、冬吾は
自分の想いを笛子に伝えないのか?笛子に伝えないことを、どうして
桜子に話すのか?それとも、笛子には伝えても伝わらなかったのか?
 笛子も、冬吾が家にいるのに、何故亨のことを一声掛けないのか?
亨にも、姉たちだけでなく、どうしても必要な時は父に・・とどこかで
伝えておかないのか?笛子も、冬吾も、お互いのことを思いながら、亨の
ことを思いながら、それでもなにか二人の間に、分かり合おうとしない
歯がゆさや、自分だけが抱え込んでしまおうとする頑なさを見てしまう。
(話し合った、といいながら、笛子が意見を述べ、冬吾がそれにただ
 うなずく姿が見えるようだった)


 他のことはいい。すべてそうしろとは言わない。だが、どうして亨に
関してそうなるのか?とどこか疑問。そして、そのことを考えると、
どうしても、冬吾が芸術家・・というところに行き着いてしまう。笛子は
どうしても、冬吾が絵を描くことにこだわっている。亨に見せたい、という
ものが、冬吾の絵だというのも、それは、他でもない笛子の価値観が
つくったものだ。笛子はどこまでいっても、その意味では母であるまえに
女だ・・・と思ってしまう。どんなに母を頑張っても、その底に流れる
笛子の思想は、冬吾を愛する女がかたちづくっているような気がする。


 可愛い女だと思う。すべてを投げ出して、居直って、神々しいまでに
ふてぶてしく母になったりできる種類の女ではないのだろう、笛子は。
「だんなはともかく子供は可愛いわよ!」なんて、一生言わないだろう。
 冬吾は、それを見抜いていると思う。どこまでも自分を愛している笛子を
知っていると思う。だからこそ、笛子を選んだのだと思う。


 冬吾が愛しているのは自分だ。そう意識しているわけではないかも
しれないが、少なくとも絵を描くという、絶対的な自分を持っている。
揺るがない自分があるからこそ、誰にでも優しく出来るのだろう。絵を
描くことに関して以外は何もこだわらずにいられるのだろう。亨がいなく
なったときに、「おれは絵を描いていたから・・」といったのが、言い訳
でも何でもなく、侵しがたい冬吾を感じさせた。


 冬吾は絵を描くこと、笛子は冬吾を愛することを一番大事にしている。
大好きな人のために、自分の価値観で相手に接するとすれば、笛子は
冬吾に心おきなく絵を描いてもらうことの為に心を砕く。冬吾は、笛子が
心のままに存在することを許している。冬吾がいくら子供達を愛している
とはいえ、冬吾にとって絵を描くこと以上に自分の存在に関わっていくこと
はない。笛子が子供を愛していないなどということは決してないと思うが、
子供はあたりまえの愛しいもので、冬吾は特別に愛しいものだ。笛子がどこか
危ないところを持っているのは、この逆転ではないかと思う。それと、
一本気で不器用なところが関わってくるのだろう。愛しいものの順番は
ともかく、守るべきものの順番は、大人の冬吾よりも、子供達が、幼い亨が
最優先だ。


 桜子と冬吾は似ているようで、違う。桜子は達彦に自分の気持ちをうち
あける。話しても分からないこともあるが、話すことで寄り添うことが出来る
ことを、二人で乗り越えた経験から知っている。お互いが、それぞれにただ
思いやるだけではなく、ふたりで同じ時に同じものを見ること、その二人の
時間がどんなに愛しく、大切なことかを分かっている。向き合って話し合って
わかることもあるだろうが、それでわからなくても、寄り添って同じものを
見ることで伝わる気持ちもある・・・愛するだけでなく、愛されるだけで
なく、愛情を交わすことを知っている。


※コメントでもかなり語ってしまった!はれはれさんのおかげです
 男と女、笛子・冬吾・桜子、興味のあるかたはそちらもどうぞご覧下さい