撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

その16 翼

 何も言えずに見つめていたら、あのひとはやさしくくちづけた。
そして、わたしの前歯の角っこを人差し指でなぞると、「これは、
ぼくのもの・・」と囁いた。ちょっと照れて笑いながら・・・。
「こんなこと言う奴ってめずらしい?」


 あのひとがそういったように、それはそれは思いがけないこと。
それでも、それはわたしの一番甘いため息を受けとめるところ。
あのひとはずっとそれを見ていたんだわ・・と思うと、からだが
熱くなる気がした。だれかのものになるなんて、だれかになにかを
捧げるなんて、今まで軽蔑しそうなほどに嫌っていたわたしなのに
なぜかけだるい幸せを感じていた。あのひとの胸に顔を埋めながら
わたしはつぶやいた。「特別にまつげもつけてあげる・・・」


 わたしはあのひとからなにをもらおう?わたしのまつげをあのひとに
つけて、あのひとの世界を一緒に見ようか?私はわたし。あのひとは
あのひと。なにを言い交わしても、なにを約束しても、お互いの世界を
変えることはできない。それでも、心に翼をつけることはできる。
あのひとの未来に寄り添うことはなくても、未来のあのひとの笑顔を
思い浮かべることはできる。それは、とりもなおさず、私が自分自身の
未来を思い描くようになったからだと思っている。自分の翼のうごかし
かたを、あのひとは私に与えてくれたのだ。