撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

生死を決める瞬間に・・(純情きらり)

 冬吾の生死の境の瞬間に立ち会ってしまった桜子。賛否両論あるようだけど、
桜子が「あたしのために生きて」と言ったのは、桜子らしいと私は思う。
かねに向かって、あたしがここでピアノを弾いてたら、達彦さんがいる
ような気がしませんか?って言ったのと同じように、自分勝手で、厚かま
しくて、乱暴で、ストレートで、考えなしだ。でも、悪意はない。(悪意が
ないほうがたちが悪いこともないわけではないですが・・)道ならぬ恋
というより、置き去りにされそうな子供に見えてしまった私ですが・・。


 桜子はいつも人のためになにかをしようとばかり考えている。それは、
もちろん自分がやりたいからなのだが、人のために尽くすことが、実は
自分のためだったことに気づいているだろうか?誰もいなくなって空っぽ
になっている桜子・・。


 冬吾はいつも人を受け入れて生きている。絵を描くこと以外は、心を
空っぽにして・・。もう一度生きようとしたことすら、桜子に乞われた
からのように見えた。少なくとも、あの時点で、桜子はそう思ったはずだ、
冬吾はそう思わせることを許したはずだ。 


 特別な瞬間には、特別の意味があると思ってしまう・・。運命だとか
めぐりあわせだとか・・・。それでもよくよく考えてみると、それは
自分で創り上げた考えに過ぎないこともわかる・・。いつも、優しく
受け入れるけれど、何か行き過ぎたことを感じたら、冷たく突き放して
いた冬吾が、今回は桜子の考えにブレーキをかけないまま受け入れた
ように思う。いや、冬吾がブレーキをかけていたのは、いつも笛子に
対してだった。桜子は、そのままにしていても、用事が済めばどこかへ
飛んでいってしまっていたから、優しくしても大丈夫だったんだ。
 でも、今の桜子には、飛んでいく次の場所がない・・。


 桜子にとっての今の悲劇は、一番近くにいて何かをしてあげたい達彦が
いないことだろう。しかしながら、だからこそ、自分の人生は、自分の
為に生きているんだ、だれかの為に生きるのはいいけれど、もしそれが
なくなって、たったひとりになったとしても自分で生きていかなければ
ならないのだ・・と自覚していけるのではないか?


 家族や人を愛して止まない桜子。しかし、本当に家族を守るためには、
自分一人で立てなければならないこと。本当に人を愛するためには、一人
でいる厳しさを知らなければならないのではないのか・・。桜子の
親ばなれの時期が来ているのではないかと思った。 そして、本当の
意味での親離れが出来なければ、本当の恋愛はできないような気がする。


 その時に達彦さんが帰って来てくれたらいいね・・・。