溢れ出すもの(純情きらり)
桜子が、ピアノに向かって曲を作っていた。冬吾がとおるをみつめて
なにかにとりつかれたように絵を描き始めた。
本当の芸術は、こんな風に溢れ出すのだろう。この気持は、ひとの
自然の動き。だれにでもある、愛や情熱。それを、何かに託し、表して
くれるひとたちが、芸術家や、作家や、ものを創り出す人たちなのだろう。
笛子が思いの外落ち着いているのに、びっくりした。冬吾を思う気持ちと
子供に残したいという気持と、それだけなのだ。冬吾が、我を失ったように
描き始める姿を落ち着いてうれしそうにみる笛子がおかしかったなあ「久し
ぶりだわ」なんて言って。絵に向かう、子供のような冬吾をもまるごと愛して
いるのだろう。笛子のいらだちは、笛子自身に向かったものなのかなあ?
あんなに振幅の大きい感情の揺れと、この見事なまでの落ち着きは、
やっぱり笛子ただものではないぞ!という気分です。正直わかんない!
秋山と冬吾が対照的です。冬吾は、幸せ・・という部分もあるけれど。
桜子が秋山に言う。「あきらめたり、手放したりするのは、簡単。今はそんな
ことばかり」「絵を描いたり、音楽をしたりしているときは、希望を感じて
いられる」
明日への希望を感じるもの、人と人を結ぶもの、いつもそんなものを
渇望している。