展覧会(純情きらり)
展覧会を開くために悩む画家たち。和之は、父から条件を出された。
お前が筆を折るなら展覧会を開けるようにしてやろうと。描きたい気持は
みな同じだ、一人だけあきらめたりせず、みんなで何とかしようという
冬吾。次の条件は、戦争画を3枚以上いれるというもの。みんながいっせいに
やすじに注目する。実際の戦場をみて、とても戦争画など描けない、あれから
胸が疼くんだ・・と苦しむやすじ。彼も、人に言えない苦しみを抱えて
いたんだ。従軍画家として真実を見てきたからこそ、今までどんな思いで
絵を描いていたのか、心がひきちぎられそうになっていたのではないか?
おまえが本当に描きたい戦争画を描けばいいという冬吾。真実を描けと
いう。真実の絵が、この場合の条件の戦争画になるとは思えないのだが・・。
かえって許可が下りないようになるばかりか、ひとつ間違えば、特高に
連れていかれるほど危険なものではないのか?他の人たちの絵以上に
危険なものになるのではないのか?
どちらにしろ、この時代に絵を描くことは、命を懸けていたようなもの
なんだろう。描く人にとって、描けないこともつらいけれど、描いても
だれにも見てもらえないこともたまらなかったのだろう。やすじにばかり
戦争画を描かせる他のみんなに、なにか冷たさやずるさを感じているのは
否定できない。それでも、やすじ自身も自分の中に、自分の心を偽った
絵を描いてきた後ろめたさと、苦悩があったに違いない。それを、本当に
描きたい絵を、真実を見てきたやすじにしか描けない絵を描く・・という
ことで、昇華させることができるのではないか。その、みんなの展覧会を
みんなでつくりあげる・・・。
二日目には撤収させられてしまったけれど、みんなの顔は明るかった。
やすじとみんなのわだかまりも解けたように見えた。描きたいものを描く、
見たいものをみる、愛しいものを愛する。自由に考え、自由に生きる。
当たり前のことをすることが、綱渡りで、命がけだったなんて、なんて
大変な世の中なのだろう!今、わたしたちが手にしているものが、どんなに
すばらしく、ありがたいものなのか、ふと考えてしまいました。