撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

今とこれから(カーネーション)

今回オノマチ糸子に続いて
夏木マリ糸子も十分楽しんでます
つくづく思った
先入観とか自分の思い入れや思い込みって
どれだけ目を曇らせるんだろう
判断を誤らせるのだろうって


この3年で自分自身もまわりにもけっこういろんなことがあって
観る目や考え方が変わってきていることもあるのはある
でもホントに自分の心が変わるだけでこれだけドラマの見え方が違うんだなって
怖ろしくなるほど気づかされてる


確かに交代したすぐは少し違和感があったと思う
でも回数を重ねるにしたがって
そのひとが改めて感じられてきて
糸子だけじゃなくてまわりのひとたちも
それなりに分かるようになって
変わっていくことを楽しめるようになってきた
とくにたかちゃん、ごめん、前回いいとこなしのように書いたけど
冴えなかったりヒステリックだったりしたのは一部分で
そういうことを乗り越えつつよう糸子せんせいとやりあってくれてると思う



糸子さんの性格も70代と88歳と91歳と
少しずつ変わってきているところと
さいころから変わらないところと感じられて面白い



2階を改装するということで空っぽになった部屋の
畳の上に大の字に寝転んで畳を撫でる糸子がなんとも言えなかった
ここでどれだけいろんなことがあったことか
小さい頃
出産の日
おとうちゃんを看病してたころ
おばあちゃんを見送ったとき


そのうえで思い出なんかいい
いまとこれからや
というその言葉の潔さ


過去を切り離すというわけではなく
生きて明日を迎えるからこそ
思い出は自分の中に確かにあるということ
生涯現役で自分のものは自分で処分して
身一つで今日を生き明日を待つ
それってめっちゃかっこいいやん!って思う



ふと思う
いつかあの世へいって
懐かしいひとびとに会うとき
思い出話はきっと待っていてくれる人がしてくれる
私が忘れていることも顔を見れば思い出す
それよりも
わたしが何をしてきたか
自分はどう生きてきたのか
会った時に恥ずかしくないようにしなくちゃね



ひとはひとりなんだと思う
どこまでいっても自分は自分なんだと思う
でも
いまはいないひとも
であいすれちがいともにいきるひとも
たいせつな今をつくる大切な人たちなんだと思う