撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

言葉の役目

以前観たテレビ番組で塩野七生さんが言われていたこと


「言葉の一番の役目はたぶらかすこと」


たぶらかすというのはまた強烈で
どちらかというといい感じがしない言葉ではあるけれど
その内容を聴いていたら納得した
このひとと一緒にいると
なにかができると思わせること
自分が望む方向へと進めると思えること
そういう気分にさせてくれるという意味で
言葉の力を使うということ


そのために何が必要かといえば
きちんとした自分のビジョンが要るということももちろんあるけれど
もっと大切なのは
中途半端に賢しらな自分勝手な思い込みをしないということではないか
などと思った今日このごろ・・・


みんな自分のことはよくわかっている気持でいる
でも
本当はどこかで自分の可能性を信じていたいとも思ってる
だからこそ
自分で思ってたことでも
ひとにそれくらいと言われると
なんだかカチンときてしまうことだってあったりするものなんだな
いや、カチンとするのはまだ気持ちが強い人のほうで
ホントはもっと可能性があるのに
これくらいってあきらめちゃったりするって場合もあるんだろうな


大人にしろ子どもにしろそれは一緒
大人だったらむしろ嫌われるだけで済むけれど
子どもや若者相手だったら伸びていくべき芽を摘んでしまうという悲劇になるかも!
言葉ってそれくらい何気ないけど特別な力があったりもするから・・・


なんでそんなことを思ったかっていうと
いつもいくお洋服屋さんで
お気に入りのお姉さんがいなくて
中途半端な若さのお姉さんが寄ってきたんだけど
彼女のいくつかの発言でまったく購買意欲が落ちてしまって店を出たから・・


そのお気に入りのお姉さんも来月からは本社勤務で
どうやらバイヤーの仕事に携わるらしい
私が気に入った子って出世するんだわ
前にもこんなことあったんだよね〜
(まあ、それだけ仕事できる子はたぶん大勢のひとから気に入られてるんでしょうけど)


というわけで
逆手にとればたぶらかされることなしに
自分で現実的にお洋服を買うことになるので
想像以上の出費は抑えられるかもね(笑)


でも「たぶらかされる」ってある意味快感かも
「騙される」っていうのとはまた違いますからね
どこがどう違うかっていうと
騙されたときは覚めると元の木阿弥だけれど
たぶらかされたときって
もしかすると自分でも知らない自分に出会ってるかもしれないってこと
たぶん、どこかでそのひとが望んでいること
もしくはだれもがそうなりたいと思っているような世界
それをわからないような人は「たぶらかす」才能もないのではないかと思うから


いつも言葉は真実を友達にしていると思う
でなければ魅力的な言葉にはならないと思う