撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

溺れず、焦がれず、腹八分

なんとなく以前お寺で聞いた「中道」という言葉を思い出して
自分のブログに書いた記事を検索した


お釈迦様に背中を押されて、阿弥陀さまへひたすらに歩け・・と。

片側には荒れ狂う水の深み、もう片側には燃えたぎる火。そのどちらに

落ちることなく、溺れず、焦がれず、中道(ちゅうどう)を進め、と。
ふうん・・
こんな話を聞いてこんなことを書いていたんだな・・と


あれから数年
もしや溺れるとは自分を持たないことでは?
もしや焦がれるとは自分しか持たないことでは?
溺れるほど、焦がれるほど、人生のシナリオはドラマチックではないにせよ
自分の中に持つ感情は流されたり凝り固まったり澱んだり
そんなことがないとも言えない


お釈迦様も阿弥陀様もまだまだお近づきになれるほど
信心深くもない私ではあるけれど
心が暖かくなること、心が穏かになること、
そんなことだけはすこしずつ感じることができるようになってきた
そうでない自分をずいぶんかまってやってきたからかもしれない


しんとひきしまってきたこの秋の空気に
胸を開いて顔を上げて歩いて行こう
いまは幸福にもひろびろとひろがる草原のなかの道のように思えるこの世界を
自分なりの中道を意識しながら歩き続けてみよう


腹八分ってなに?って?
歩くには食べ過ぎると苦しいでしょ?
ってかね、このところ歩いていると体調がよくって
遥か昔に目標立てたことに向いてるようで・・(笑)


それはまた
どんなに幸せな時にも欲張ったらそれまでのようで
どこかに偏りすぎたら倒れてしまいそうで・・



たとえば
食欲の秋に偏らず、芸術やスポーツに・・とかね
え?そういう話だったんでしたっけ?(笑)