撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

いつかすべて出し切ったときに涙出来ればいいと願いながら・・・

ニュージーランドでのラグビーワールドカップ
日本にとっての最終戦、カナダとの試合
昼間にあったにも関わらず、メールをやり取りする友人もうちのダンナも
リアルタイムで観戦したらしくとっくに結果を知っていたにも関わらず
22時からの録画放送を最後までハラハラしながら観られた私は
ある意味幸せな時間を過ごせたのだろうか


負けなかったジャパンに拍手を贈ろう
勝てなかったジャパンにはなんて声をかけよう?


観終わったあとになぜか疲労感の残る試合だった
もし勝ったとしてもどこか素直に喜べない部分があった
そしてやっぱり勝てなかったことに対して
「やっぱり」などと言っている自分がいることに淋しさを感じている


もちろんいいプレイもあった
気持ちの見えるシーンもあった
しかしながら不必要な派手なトライをするプレイヤーや
8点リードに試合途中とは思えない笑顔を見せるプレイヤーに
どこか危ういもの、軽いものを感じさせられるような気分になり
チームがひとつに思えない部分があるような気がした
大切な場面での確実とは言い難いドロップキックにしても然り・・・
日本代表を背負っているという重みが
その選手ひとりひとりによって明らかに違う様な気がした


ジャパンの選手に聞きたい
あなたはこの試合でAll outできた?
もう二度とワールドカップにでるチャンスがないとして
これがただ一度だけの自分の栄光だとしたら
それを一生誇りに思えるほどにすべてを出し切れた?


もちろんその言葉にふさわしい選手もいただろう
自分の出来るすべてを出し切って、それでもまだ・・と悔しく思っている選手もいるだろう
その強い気持ちを持つ人々にこれからも日本のラグビーを支えていってほしいと思う


と、言うだけは簡単なこと
私自身、ワールドカップに向けて応援者として充分な準備をしていたか
自分の情熱をすべて傾けてジャパンを応援していたかと言われれば
とても今回はそうは言えないところもあるのだから・・


次のワールドカップをもっと盛り上げるためには、2019年に繋げるためには
選手や関係者だけでなく一般のファンたちももっと努力しなければならないのだろう
ただ想うだけでなく、ただ批評するだけでなく
選手や関係者のみに任せて、自分にはどうしようもないから・・などというのはやめて
「わたしたちの代表」を育てていかなければならないのだろう


桜の誇りは・・桜のジャージの重みは
どれだけ愛されているか、どれだけ心からの気持ちで期待されているか
それを選手たちが本当に感じられるかに寄るのかもしれないと思う


今回のワールドカップでわかったことは
ジャパンは監督や関係者のみが選び作り上げるだけのものでなく
ラグビーをしているすべての仲間の想いを受けながら
ラグビーを愛するひとすべてが育てていくものなのかもしれない・・ということだったような気がする