撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

天才

 休日の朝、テレビを観ていたら美空ひばりさんの特集番組があっていた。小さい頃はおとなたちがなんであんなに夢中になっていたのかよくわからなかった。それでも、おつきあいの歌番組(少し年齢の高かったうちの親はよその家以上に懐メロなんかの番組をかけていたような気がする)を観ていたらかならず聴いてきた彼女の唄なのだけど・・。いま観たら(聴いたら)めちゃくちゃ引き込まれる。


 岡林信康さんが彼女の話をしている。美空ひばりが楽譜が読めなかったこと。彼女に向かって自分もそうだというと、美空ひばりがまるで同類を見つけた!というような満面の笑顔を自分に向け、急速に親交が深まった・・というエピソードなど・・。
 美空ひばりが、小さい頃は一日中押し入れの中でありとあらゆるレコードを聴いていたということなど・・の話をして・・・とにかく歌が好きで好きでたまらなかったのだろうと。それを天才と呼ぶのなら、天才という存在は、なにか特別なことを持っているというよりも、それが好きで好きでたまらなくて、そのことのためになら自分すべて・・命まで捧げてもいいくらい好きで、どんなこともできるし、どんな努力も苦労もいとわない、苦にならない・・そんな心持をもっている存在のことだろう・・と。


 わたしは美空ひばりの、その歌ごとにまるっきり印象の変わる表情を観ながら、涙を流しながら、澄んだ歌声を響かせる彼女を観ながら、まるで、巫女かなにか、神秘的なものを感じていた。自分を透明に空っぽにして、人々の心を、時代の気分を、歌にのせて皆に広げ、人の心を震わせる・・たとえば額田王が歌を詠んだときもこんな気分ではなかったのか!と思えるような・・・。


 歌とラグビーとは、そして女性と男性とではだいぶ違うとは思うけれど、「天才とは、それが好きでたまらなくてそのためにどんな努力も苦にならないひと」という点では、同じかな・・と思い出したのが昨日読んだラグビーヒーローズのなかで、ライターの「伝えたい熱意」が一番伝わってきた布巻峻介という存在。もうそれは、ようやくおおっぴらに彼のことを記事にすることができる喜びに溢れた記事だったような・・。まるで当たり年のボジョレー解禁という感じ(笑)。


 美空ひばりの言葉で印象に残った言葉
「日本に生れてよかったと思っている、だって日本の歌が歌えるから・・」
 ラグビー界でも、峻が、そしてまた別の日本の天才が、そしてこれから現れる日本の天才たちが「日本に生れてよかった。日本のラグビーができるから」と言えるようになれば、日本のラグビーの未来は明るい。
 そして、美空ひばりを記憶している年代の私たちは、そんな天才たちが、苦労はすることはあっても悲劇や不幸には遭わないように、その輝きを受け取るだけではなく、何らかの形でその輝きを守っていってやりたいとも思うのだ。