撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

愛することと食べるもの

 なんだか、愛することと食べるものはとても密接なかかわりを持っているような気がする。人が作ったものを疑いなく食べることって愛情というか信頼がないとできないと思うもの。


 言葉の使い方もそれに近い。同じ言葉を使っても、その使い方のニュアンスは様々。それって、素材の選び方から、料理の仕方までのそのひとなりのやり方や、育ってきた環境や、価値観に大きくかかわっていると思う。
 同じ素材を使っていながら、どこか趣きが違うなんてこともある・・。美味しいものを味わうことは、かなり一緒にできても、そのお互いの作った料理をお互いで味わえて同じくらい満足できるかどうかは難しいところ。


 ふと思ったことは、今回の朝ドラ「ウェルかめ」、食卓・食事の場面がひとつも印象に残らないな・・食べる場面っていつもアルデナイデの大テーブルだし・・見栄えはそこそこだけれど、どんな味なのか全然見当がつかない。よくありますよね、あのメニューですよ・・って感じの料理。
 よくある家族の食事のシーンはそれなりにその家庭をあらわしているような気がしたけれど、そういう思い入れはないひとが書いているのだろうな・・と思う。または、辛すぎて書けない思い出しかもっていないひと?(スミマセンまた穿った見方だ)。はたまた万人受けするような敢えて省いたという上級の作戦なのかな?(笑)。


 言葉は交わさないと伝わりにくくなる。食べものも、一緒に食べる機会が少なくなると、違うもので出来上がった人間になってくるような・・・。人間の体と心は密接につながっているだけに、言葉にせよ、食べ物にせよ、丁寧に作られたものに接するということはとても大事なことに思われる。愛情を込めたものをいただくと言うことはそれだけで元気になれるような気がするもの。