東京ラブストーリー
わたしの中に叫ぶリカがいる
そして疑うさとみもいる
正直、なんのカテゴリーにしようかと思いましたの。好き!という
ほどではない。柴門ふみはあまり好きな漫画家ではない。お話はすごい
と思うけれど、その勢いに筆がついていけないような雑な絵がどうも
気になる。かたや端正すぎて厭味なほどのダンナさんの絵と足して二で
割ったらいいのにと思うほど(笑)。
昨日は貸本屋さんでなんとなく借りた。実はなんとなく手にとって
読んでるところ、ばったりと店長と目があったのでこりゃ借りんと
悪いかな・・と(笑)。
自由奔放のわがまま娘かと思っていた赤名リカは、剥き出しの心の
まま東京で生きている不器用な女の子だった。寂しがり屋で弱いくせ
に、自分の弱さに気づかないのか気づきたくないのか、裸足で走って
いる足の痛みを忘れるために走り続けてるみたいだ。
さとみもまたそう・・。どうしてひとは愛するだけでは幸せに自信が
持てないのだろう。どうして愛されるだけでは満足できないのだろう。
その気持ちがよく分かるだけにどこまで言ってもこのみんなが落ち着
くことはないのではないかと思ってしまったほど。
最後は落ち着いたのだったっけ?
「グーグーだって猫である」のなかで大島弓子モデルの先生が
「ひとを幸せにする漫画を描きたい」と言っていたのに対して、この
柴門ふみさんの漫画は、まるで心の中に大きな穴でも掘ってくれるよう
な感じがする。それがとても疲れるものになるのか、えぐられるように
大変な気分になるのか、または思いがけずたくさんの豊かなものが
あらわれて自分でもびっくりするのか・・・。問題提起などという
生易しくよそよそしいものではなく、生々しく迫ってくる何かを
感じさせられる。まあ、とりあえず、穴をもとどおりに埋めるもよし、
それともいっそそこに種でも蒔いてみようかしらなどと思うのもまた
作品のエネルギーなのかもしれないな・・と思う。