撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

おばちゃんにだけ教えたるわ(ちりとてちん)

 「なんやの、この子は」
 「たまには親に顔みせんとあかんよ」
 「ほらぁ喜ぶわぁ」
 「ひとしぃ・・あんた何しょうもないこというてんの」
 「それがひとしにぴったりの芸風やということやったんと違う?」


 親子って難しい。親が子供の笑顔を嬉しく思うのと同じくらい
子供だって親のご機嫌の顔が大好きなのに、なかなか素直に見せ
られない。子供が親に向かってなかなか上手く言えないことは
よく分かっているけれど、親だって肝心なところで無駄に意地
張ったりさりげなさを装っていたりすることなんて子供に分かる
はずなどない。お互いが相手を傷つけているのでは・・と心配
しあいながら、それでも自分のなかに籠もってしまったりして。


 草若・小草若親子に妻であり母であるおかみさんがいないことは
さみしいなあ・・と思う。草々がおかみさんを母と慕い、四草が
師匠を父と慕っていた今週の思い出話のなかで一番切ない一日だった。
 

 身内の言葉は遠慮がないほどに近い。近いだけにとても深く
親しく、ときに胸をえぐる。いつもの軽い冗談を照れ隠しに使った
だけの草若師匠の言葉が入門を言い出した特別の日のひとしにとって
は、どれだけ残酷なものだったか、それは受け取った人にしか
分からない。親しい仲では時にそんな酷いことがある。そして時に
伝えて欲しいことに限って伝えていないという悲劇も・・。


 親しいけれど、一歩置いた菊江さんの存在は好きだ。他人だから
こそできる距離感で、背中を押したり、頭を撫でたり、抱きしめたり
してくれているような気がする。「うるさいおばはん」と言われる
こともあるけれど「おばちゃんにだけ教えたる」なんて役回りに
なるときもあったりして、やっぱり目が離せない。だから、ずっと
見守って、親子の中でどうしても起こる、言葉の足りなさを補ったり
気持ちのやりとりを橋渡ししたりしたくなってしまうのだ。多すぎ
もせず、少なすぎもしない、そんな大切な言葉を贈りたくなるのだ。

 

 「そしたらそれでええですやない」
 「生きていたいぃ言う意味ですか?」
 糸子さんの受けとめかたもとてもとても心に沁みた。草若師匠が
必死で隠していることを大事に大事に受けとめて、自分の中に大切に
しまっておく姿が美しかった。つよいひとだと思った。


 底抜け誕生秘話で草若師匠がおかみさんの写真にむかって「いや
流行るよ、なあ!」と話しかけるのが涙が出てしまった。こんな風に
息子ひとしのことを夫婦で可愛がっていたに違いないのに、そのこと
を小草若がいつ知るのか気づくのか・・。
 始めは「また今度ゆっくり・・」と言っていた草若師匠が帰りに
また来てくださいと言われた時には言葉を濁したのが、なんともその
時間のはかなさを感じさせられて切なかった。


 ところで、小草若が喜代美のことを「若狭」と呼んでいたのが
ああ・・時が経ったんやなあ・・って感慨深かった。
 あと、「こんな○○ですぅ、な〜む〜チ〜ン」っていうのも妙に
おもしろくって小草若の芸風にぴったり?とか思ってしまいました。