撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

修行が足らんな(ちりとてちん)

 今週のちりとてちん何回観ただろう・・朝から3回観る日はざら。
必死で時間あわせて観ようとしたり、時間ずれ込んで最初見逃し
たり・・かえって観られなかった日のことのほうがよおく印象に
残ってたりする私にとっての朝ドラです(笑)。


 観れば観るほど面白くて、語っても語ってもまだ語りたくなる・・
不思議な魅力の「ちりとてちん」、登場人物の面白さと、役者さん
たちの上手さと味わいで、いままでで一番好きかも・・と思って
しまう。男性陣もいいもんね(笑)。


 このところ注目は四草。この子の位置どりが面白い。喜代美の
失恋をダメ押しするかのようなセリフを吐くときですら、かたちと
しては、喜代美の隣りに寄り添っているのが面白い。喜代美が
耐えきれずに泣きたくなったらすぐに肩を抱ける位置じゃん。
 草々の恋愛進行状況を寝床でみんなで聞いているときには何故か
草々の後ろ側。悪魔の囁きのごとく、草々になにかをふっかける
には一番の位置だよなあ・・なんてふと思ったりして「彼女今ごろ
待ってますよ・・」とかさ。そりゃそうです。清海ちゃんが東京行きの
話をしているときに「それに・・」といいかけて上目遣いで草々を
伺ったことに気付いていないのは草々にいさんくらいのもんでしょ。


 「わたしは買い物いくところです」という喜代美の手に明らかに
買い物してきた荷物があるのにはストレートに笑ったし、さすがの
草々もきづいてたようだけれど、買い物帰ってきたときから、草々が
もどってくるまでずっとそこで荷物もったまま待ってたんかい!
でもって、結局荷物は草々かなんかに預けてまた清海ちゃん追っかけて
飛び出してるし。いったい何を買ってきたのかかえって気になる・・。


 「軽々しく破門やら言うな」と怒った師匠の言葉が沁みる。破門
とは、結んだ縁を切るということ。ひととの関わりを断とうとすると
いうこと。生きていく上で、どうしても途絶えていくものは仕方が
ないとしても、自分から縁を切るということは、よっぽどの事情が
ない限りはしてはいけないことだろう。切るときにはそれ相応の痛みと
覚悟と、かわりに引き受けるべきさまざまの事柄がでてくるものだと
思う。それを自分で引き受けられもしないうちに自分から縁を切る
などということはしてはいけないことなのだろう。命が大切なように
人との縁もまた大切なもので、自分だけのものだと思うことが傲慢
なこともまた同じなのだろうと思う。


 四草に諭す師匠。テープではわからないこと・・これはまた生きて
いくことそのものにも言えること。いくら知識があり、情報を仕入れて
いたとしても、それはそれ。自分で実際にやってみること、ひとと
関わっていくこと、ぶつかって感じる手応えと痛み。傷つくかもしれ
ないけれど、そのなかでしかわからないことはある。だからこそ
面白いことも、またある。


 「未熟なもんのおかげで成長できるもんもおる」という師匠の言葉。
四草は、はじめ、若狭に稽古つけるんなら自分にも稽古つけてください
なんていってたなあ。何かをひとに与えるのなら、かわりに何かを
じぶんにもらえなくちゃ!って・・。働いた分、報酬をもらう・・って
いう場所もあるけれど、それだけで出来てるわけじゃないんだ。ひとに
与えるなかで、逆に与えてもらえるものもあるのだ。いや、たぶん
それは損得なんかではかれる種類のものではないのだけれど、ひとに
教えるなかで、人のことを考えることのなかに、自分が気付かせて
もらうことが世の中にはいっぱいあるのだと思う。知らず知らずの
うちに・・かもしれないけれど。末っ子には末っ子の役割があって
おじちゃんにもおじちゃんの役割があって、誰もがそこにいることで
お互いに影響を与え合っているのがこの世界の・・人間の素敵なこと
だと思うのです。


 思いがけず涙が出てしまったのは、小次郎がアウトレット塗り箸を
売っていた場面。捨ててしまう塗り箸にも大きな意味があるのだ。
それを敢えて捨ててしまうということの意味はお父ちゃんは知っていた
はずだ。しかしながら、捨ててしまうことが当たり前のことだと思って
いなかったか?上手くできた塗り箸も、捨ててしまう塗り箸も、本来は
すべて自分が生み出した愛しく大切な塗り箸だったことを忘れていなかった
か?捨てられる塗り箸は、自分の胸に秘めた語らぬ想いだ。ひとびとが
我慢をしながら自分のなかに持ちこたえている想いを応援するそれもまた
想いだ。成功は一握りで、上手くいくこともいつもではない。その影には
数え切れないほどの失敗と、投げ出してしまいたくなるほどの苦労が
ある。報われない努力も中にはある。気付かれない支えも・・。
 捨てられる塗り箸があり、遣い捨てられる塗り箸がある、その上に
美しい塗り箸が成り立っていることを忘れては、ショーウインドウの
中で見せ物として扱われることにも文句は言えないのかもしれない。


 A子の意地、B子のプライド。そのどちらも大事なものだ。いつか
ABなどという呼び方がはずれて独り立ちする日まで・・。自分ひとりで
立って歩いて倒れても起きあがれるようになるまで・・。いや、ひとは
いつの日にも一人で生きていかなければならないけれど、それと同時に
また・・決してひとりだけでは生きていけないものなのかもしれない
・・そんなことを思う。


 順ちゃんの名言
「天災と思って乗り越えな」・・あきらめるのではなく乗り越えろ・・と。
あきらめな仕方がないことが天災・・ひととのことは本当は天災では
ない・・それでも天災とでも思わなければやっていけないときには
嘘をついてでも自分を守ってやらなければ・・。そして機会を待って
自分の心に嘘をついていたことに決着をつけて向き合って乗り越える・・。
 言葉に不自然さがある時にはそれなりの意味があるんだ・・などと
ひとりで納得したりして・・・(笑)。いつか大きな大きな人間に
なれたら、嘘をつかなくていい、自然で素直な言葉だけで生きていける
ようになるのかな・・なんて。それでもひとを思ってつく嘘・・優しい
内緒はあるのだろうな・・。喜代美のこころになってもう一度見直すと
草々さんの笑顔を見られるだけでいい・・そんな気持ちになりました。
そんな想いを持つことで、ひとは強く優しくなれるのかもしれない・・
などと喜代美のかわりに涙を流しました。