撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

言葉の裏側

 心に想ったままのことをそのままに言葉に出来れば
それはなんて幸せなことなんだろうと思う。しかしながら
思ったとおりに口に出したからといって、伝わって欲しい
そのままに伝わるとも限らないし、返って来て欲しい答えが
返ってくるとも限らない。


 自分の心を分かってくれる人だけに伝わるような、無意識
の謎掛けのような言葉を使っていることにふと気づくことが
ある。


 淋しいよ
 逢いたいよ
 あなたのことが気になっている
 わたしのことを認めて!
 優しくして
 ほめて気分良くして


 大人も子供も同じこと・・。かまって欲しい人に振り向いて
欲しくて、甘えたり拗ねたり怒ってみたりする。言葉の裏側に
ある本当の意味にまで気づければ、そんな言葉を投げてくれる
可愛らしさにも気づけるし、返す言葉も思ったとおりのものに
なるのだろうけれど・・。


 そんな言葉の深さと愛しさに気づけるのは、たっぷりと心が
潤っているときだ。干し椎茸や切り干し大根をもどすように
昆布の出汁が出るまで待ったり、お豆が水を吸うまで置いたり
そんな時間まで愛おしいと思える心の余裕があるときと同じ
ように・・・。


 「大好き」と「一緒にいようよ」が心の中にいつもちゃんと
あることを確信できれば、どんなにこちこちに固くなった言葉
でも、安心してころがして置けるだろう。ゆったり解いた時には
お日様の匂いと、ほんのり甘い気持ちを思い出せると思う。


 ・・もっともいつも乾物じゃやだけどね(笑)