撫子の花びらたち

すべての出会いは幸せのためであってほしい

こころの乗り物

 怪我をして何も出来ず(主にゲーム)退屈といらいらを
くりかえしている次男。前からの約束で昨日は美術館に
連れていった。


 福岡アジア美術館ちひろとアジアの絵本画家たち」


 行くまでにひと騒動・・怪我からの心の動きだとは思うの
だけれど、もともとのツケがこんな時はくるんでしょう?
というようなものなので、親としてはますますあとに退け
なくて可哀想だけれど泣いてもらおう・・という類のもの。
 ・・簡単に言えば、宿題が済むまで(やらなくていいとか
思ってるのに頭来て・・)連れていきませ〜ん!という状態で
出発が夕方になってしまったというもの。


 やや気まずさを残しながら絵本展。美術館に入ると、放し飼い
状態にして欲しい私はほんとは子供とくるのは不安ではあった
のだけれど、最初はわたしのそばを離れなかった息子も段々
絵本の世界に引き込まれたようで、あれ?いない・・と思うと
展示されている原画の足元に所々置かれた、ちいさな段ボールの
椅子とその画家の絵本・・というスペースで楽しんでいた。


 原画・・絵本・・紹介・・画家の絵本に対する想いを書いた
ひとこと・・。なかでも、その想いは、とても興味深かった。


 そして、いわさきちひろさんの作品の並べてあるスペースへ・・。


 なんて懐かしくてなんてあたらしいのだろう・・。ちひろさんの
描くこどもの瞳にいろいろなものが映っているように思えた。


 大好きだったもの・・なつかしいもの・・小さい頃の写真・・
母の指先・・こどもの温もり・・夏休みの思い出・・校舎の匂い
昔住んでいた家・・いとこたちとのやりとり・・友達の笑い声
何度も読み返した童話集・・ぼろぼろになった絵本雑誌・・
庭の雑草・・ひとりぼっちの静けさ・・お日様・・雨の匂い・・・


 一人の方が文章のなかで、絵や音楽やいろいろな表現方法は
心と心を交わすための、「心の乗り物」だ・・というようなことを
書かれてあった。きっと、さまざまな乗り物に乗れる心を持っていた
ほうが、いろんな心と出会うことが出来るに違いない。そして、
乗り物に乗ることを楽しめることが出来る方がいろいろなことを
楽しめるチャンスが増えるにちがいない。実際の生活の中でも
何処に行くでも自分の家の車でだけ・・という子供達の多いこの頃、
身体は自家用車、心はごく近いひとか、インターネットでの現実味の
薄いつきあいのみ・・となると、人とのやりとりが苦手なひとが
増えるのも無理はないという気もする。逆に、絵本や教育、芸術・・
そんなものを欲していても・・その余裕がない状況というものも
あるのに・・。


 長新太さんの絵本があまりにもおかしくて次男に声をかけたら
「キャベツくんは知ってる」と、思いがけない新しい話題。ちひろ
さんの絵の一角で一心に本を読んでいる子供の後ろ姿が我が子だった
ことに気づいて微笑んでしまった一瞬。


 本当は、お昼からバスで来て、母もビールを飲みながらゆっくり
お寿司を食べて帰る予定だったのだけど、車でばたばただったので
追加注文なし!の条件付きでふたりで寿司。にぎり一通り食べたあと
まだあと二人前くらい入りそうな顔してるやつが河童巻のみの追加で
いるもんだから、寿司屋のお兄さんがいなりをひとつおまけしてくれ
ました。いじましいほどに味わって食べてたようにみえたのかもね(笑)。


 家に待ってるふたりにお弁当を買って、お寿司は内緒!と口止め
して家路についたふたりでした。彼が何十年か経って思い出すのは
「怪我なんかしても何もいいことない!」と泣いたことだろうか?
いわさきちひろの赤い風船の絵本だろうか?それとも初めて食べた
廻らなくてお醤油をつけずに食べるお寿司の味だろうか?


 それは、わからない・・しかしながら、この何気ない一瞬を重ねる
ことに意味があるのだ・・。ときおりよみがえる思い出とそのやさし
かったり、苦かったりする感触を楽しみながら、そう思っている。